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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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斎藤利三

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今日の気分は、斎藤利三!(のつもり)

バックの言葉は、明窓玄智居士(明智光秀)
の辞世といわれてますが、
誰かが後付けしたものでしょう。

意味はよくわかりません(笑)

順逆に門なし、と今日まで思ってたら
「二門なく」が正しいみたいです。

53歳で散った斎藤利三さんも同じ心かと思って
書かせていただきました。

稲葉一鉄さんの兄の娘婿さん
という縁で稲葉家にいたのに、
同郷出身(美濃)の明智さんとこが
活躍できると
稲葉家を抜けた事からイザコザが・・。

蒲生氏郷さんが利三から軍略のアドバイスを
受けたりして、若手武将の間では
憧れの武将だったみたいですが。

娘の春日局さんが預けられていた、
美濃の汾陽寺ですが、
私の母方の過去帳が残っていて、
土岐美濃守*代目分家、山田六右衛門からはじまり
山田大兵衛、~~と現代まで続いていたんですが、
(うやむやな記憶ながらたしか26だったような・・)
*代目ってどこから数えて?と謎っす。

ひょっとして、明智さんや斎藤さんとことも
根っこはつながってんのかなあ。

織田家ファンなので、
土岐方の先祖には複雑な気持ちですが
人と人が織りなす歴史があって
今の自分がいるんだなあとゆうことで、
やっぱ歴史が好きです。

北海道まできてしまって、完全落ち武者的な
人生ですがw
血がもし連なっているなら、
戦国の土岐頼芸さんのような
絵師になりたいなあ(笑)

戦国の世に終止符を打ち、
織田家とは違う、新しい秩序を
生み出さんと(たぶん)、
劇的事件を引き起こした
あらぶる「侍魂」に、合掌~。

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明智(惟任)光秀の軍団ページを ご照覧ください。
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北畠(織田)信雄♪

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ひさびさに4コマ漫画w
「信忠公記♪」信雄編

1579年5月「天正伊賀の乱」で
描いてみました(やっぱ時間かかる)。

こおゆう敗戦のときの
信長様への使者は
命がけでしょうねえ(恐怖)。

おなかのあたりを
ぐるぐる手のひら回して

台詞は「水晶うらない~♪水晶うらない~♪(魂)」

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御礼!「天下侍魂」壱万打。

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「バンパイヤハンターDかああっ!(くわっ。」

というカッコになりましたが、
南蛮図屏風の南蛮人が着てる服を
信忠さんが着たらこんな感じ?
というぐあいで描いてみたら、こうなりましたw。


織田信忠さんをヨイショするために作ったHP(え、
「天下侍魂」のカウントが、
先週のうちに10000ヒット達成
させていただきました。
見てくださった皆さんに感謝、感謝で~あります。
(リンクはっていただいた(たぶん)台湾のかたにも感謝。)


史学を専攻できなかったので
職業として歴史を研究できる方々が
ほんとうらやまし~ですが、

在野の歴史ファンでも
頭の中にあるものを墓場にもっていくでもなく
こうして吐き出させてもらえる場があるのは
ありがたいことだなあ(ひとりごと。

これからも いちサムライファンとして、
気になる武将について
妄想を広げて行きたいと思いますw

今後とも暖かく見守っていただければ
幸いです。

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鈴木重秀(雑賀孫市)

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今日の気分は雑賀鉢!!

じゃなくて、鈴木重秀(のつもりです)。

兜の鉢をみてたら、描きたくなりました。

根来・雑賀・湯川・紀伊国奥郡衆 二万ばかり罷り立ち、(略)

鉄砲三千挺これある由に候。(略)

「御敵 みかたの鉄砲、 誠に日夜 天地も響くばかりに候」『信長公記』

1570年、織田の鉄砲隊を含めれば、両陣営で
大阪平野にどんだけ鉄砲あつまってたんでしょう?
という感じですね。

(1575年に鉄砲千挺しか用意できなかったと
 いう説は、客観的にみて過小評価すぎの気がしますが・・)

織田家に臣従してのちは、
四国に渡海することになってたんでしょうかねえ。

同じ雑賀の土橋氏との激烈な抗争といい、

「四国攻め」、「高野山攻め」を控えて
1582年以降、織田家の天下統一の主要人物と
なっていったであろうに・・・。

この方も、「本能寺の変」で運命を狂わされた
ひとりですね。

戦争革命の先駆者どうし、
信長様ともきっとウマがあったはず(妄想)。

伝説的武名を残した
戦国の傭兵の「侍魂」に
合掌~。

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顕如光佐

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今日の気分は、本願寺顕如さん!!(謎ッス)

大阪京橋口あたりの織田方の砦を強襲
したことにより、石山戦争勃発。

「正月に大阪帰ろう」と
思って読み出したガイドに
信長様関連の記事があったので、
パラパラと見てまして、

大阪時代慣れ親しんだあの場所が、
「血戦場やってんなああああ」
と、今日ふとおもったので
顕如さんを描いてみました(つもりです)。

しばしば休戦していたとはいえ、
10年もよく戦ったなあ~。

京橋でよくカツアゲやケンカに
巻き込まれたのも、
きっとこの時代の地縛霊のせいだなw

鎧武者姿で描くか、法体姿で描くか
迷ったんですが
(鎧好きなんで。鎧を着そうでない人ほど着せたいw)
肖像画を見てて、あの眉毛は化粧眉毛なのか?
と気になりだして、眉毛を描くにはカブリ物邪魔と
いうことで・・、
次ぎは鎧きせよう。

それにしても、のちに
神戸信孝さんに出仕した河内の安井(畠山)家
の人が道頓堀をつくるなんて・・。

信長様在命中から、石山の跡地は
どのように再利用しようとか、在駐していた
惟住長秀さん、津田信澄さん、信孝さんが協議してたら
おもしろかったろうなと思います。

大阪に、織田の街が完成していたなら
太閤さんなみに、織田の諸将に親近感湧いてたでしょう。
といいつつどこまでも織田びいきw。

徳川家康さんの大阪攻めは二番煎じですね(え。
というオチで。
本願寺顕如さんは、いずこへ~。

織田軍の旗に「南無妙法蓮華経」と
書いてあるのが不思議ですが、
仏教を代表して天下人と敵対した、
「侍魂」に負けない戦国の坊さん魂に「合掌~」。

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松野(松田)一忠

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今日は気分で、松野一忠!!(のつもり。)

織田信長様の馬廻衆にして元医師です
(戦場では大忙しですな)。

戦国の医道は、中国の李・朱医学を
基本とする医師・曲直瀬道三が800人ほど
弟子をそだてたらしいので、その一派かと
想像されます。

安藤家重臣・松田雁助の養子で、
元・安藤守就の家臣であったのが、
1580年、信長様の重臣粛清政策で
安藤家が御取り潰しとなった時に、
松野さんだけは、直参馬廻にヘッドハンティング
されています。

1569年「六条合戦」に軍功をあげ
勇者として、世間に名が通っていたらしいです。

高名ゆえに敵からは常に首をねらわれつつ
1582年まで生きていた武辺者です。

「本能寺の変」には駆けつけるのが遅れ、
京都を制圧する惟任(明智)勢に
降服を勧められるが断って追い腹を切った
忠臣です。

そのさまは『信長公記』にも記されていて、
美濃侍のなかにも一本筋の通った
武将がいるということを描いているような気がします。

斉藤利三からの誘いをけることにより、
惟任光秀の天下にケチをつけ「一矢報い」て、
今後の織田侍の「心の流れ」をつくった
応急処置を、一忠さんは自分の命で
やってのけたのでは
ないでしょうか(妄想)。

戦国の世に終止符を打たんと
信長様とともに天下の治療に生きた
医者にして武者の「侍魂」に、合掌~。

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湯浅直宗

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今日の気分は湯浅甚助ッ!!

という感じで、湯浅直宗さん(のつもりです)。

信長様の最後の馬廻衆の中で、
尾張譜代で、小姓上がり、
1560年の桶狭間にも従い、
尺限廻番衆にも選ばれ、
黒幌の指物を許可された勇者。

「本能寺の変」に、宿から「本能寺」に
(本能寺に!!)
かけつけ、
惟任(明智)勢と火花を散らして
散った武将でっす。

信長様の直参中の直参ですね。

生まれは1545年で、前田利家は1538年生まれ
なので、この世代差が赤幌衆に選抜されなかった
理由でしょうか。

多分、適齢期の頃には幌衆が
解散してしまっていたんでしょうが、
しかし、赤母衣を通り越して、黒母衣の
旗印を貰うなんてかなりの栄誉なんでは。

1575年の「長篠」では、
信長様に鉄砲奉行として
猪子兵介とともに瀧川隊に派遣され、
瀧川軍の鉄砲隊を指揮したようです。

瀧川隊は徳川隊の後ろ備えのようですが・・
(後ろからぶっぱなせないので鉄砲隊だけ、
 前面の徳川陣に加勢にいったということ?)。

惟任・惟住・羽柴・佐久間隊にも
信長様の廻番衆から
それぞれ指揮者が各部隊に派遣されていて、

各陣所からタイミングよく一斉掃射
されていたのかなあ~・・・・。

信長様直属の鉄砲衆1000兵を
福富・野々村・佐々・前田・原田の五人が
率いているので指揮者が率いる人数が、

各陣所でも一人の指揮官につき200人の鉄砲衆が
いるということにはならないのかな・・(妄想~)。

ちなみに、鉄砲の総数は3000丁以上用意してたんだろうと
信奉する派ですw

というかんじで、今日も楽しく『信長公記』読めました。

戦国の世に終止符を打たんと
信長様とともに天下布武に生きた
黒い「侍魂」に、合掌~。

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福富秀勝

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今日の気分は、福富秀勝!!

というかんじで、ふりむきざま
描いてみました(LEDとREDのこだわりw)。

「福富」姓がまず、めづらしい。
うちに眠ってた『新編 姓氏家系辞書』というのを
ひっぱりだして調べてみたら、橘姓の流れらしいです。

橘の家紋は、橘と菊水。
楠木正成につながるみたいですね。

南朝の忠臣家は、明治に男爵に任じられたとか、
(なぜか20日発売の沢村氏・エロ男爵の自伝が
 頭の中にちらついたとは、
 おおきな声ではいえませんが(え)。)

信長様の赤幌衆をへて、
1575年の「長篠」には前田さん、
原田さんとともに鉄砲隊長。

その後は、前田さんとは別の進路、
安土の町の司法を司る立場にあったようです。
(もうひとりの町奉行・木村重高の役割は、
 安土城普請などに係っていたようですので
 租税などの財務関係なんでしょうか。)

京都には村井貞勝の息子・村井貞成が
おなじような立場でいるようですが、

経歴的にも上位の福富さんなので、
織田の領国全般の司法を、信長様の下で執行する
今の警察長官のような
地位にいたんじゃないでしょうか。

赤の同僚の、前田さんが地方の軍事指揮官
となったのと、中央の警察長官と
どっちが出世なのかなあ?

所領は少なくても、権力に近いほうが
出世してるということじゃないかと思うのですが、
鎌倉時代の「一所懸命思想」というか、
自分の頭の中もそうなんですけど、
石高あげれば、すごい武将という解釈は
まちがってんのかなあ~と最近思ってきてます。

家康さんの側近・本多正信さんが、
息子・正純さんに「所領を望むな」
と遺言したと言いますが、
官僚として生きることに徹するということは、
こおゆうことかなと・・・。

羽柴秀吉さんにも一目置かれていた
福富さん。「変」に巻き込まれず在命ならば、
かならずや高名になってたことでしょう。

戦国の世に終止符を打たんと
信長様とともに天下布武に生きた
赤い「侍魂」に、合掌~。

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前田利家

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今日の気分が、前田利家!(のつもりです。)

織田信長様の親衛隊、
赤幌衆のひとり、「槍の又左」です。

柴田勝家、羽柴秀吉の間を
見事に渡り冷静な政治家として高く評価されてますが、
自分的には情熱的な侍という印象が強いです。

幼い頃は信長様の男色相手も勤めたらしく(信長様本人談)、
まさに一心同体(え。

しかしながら一度、信長様のお気に入りの同朋衆の人を
切り倒して、出奔したらしいですが、信長様の許しを得る
手柄を立てて見事に帰参。

信長様が納得いくまで「これでも足らんのか」
と首を投げ捨てて、戦場に戻ったという・・・。

若い頃のこういう話をきくと、
冷静どころか、内に潜む狂気を感じるんですがw。

「長篠の合戦」では、鉄砲軍団の
織田軍の将の中でも珍しく
武田の将と一対一で、槍で渡りあった武勇伝が
残っているようです。

鉄砲だけで倒すことに、
物足りなさを感じてたんでしょうか。

室のお松さんに、
「自分はたくさん人をあやめて来たから
 絶対に地獄におちるだろう。」と
言ってるところなんかは客観的に自分を
みてはるようでもあり・・。

信長様がよくぼやいてはった、
「この世は夢ぞ、ただ狂へ」
という言葉を、戦場では地でいってしまう人物が
前田さんだったんじゃないでしょうか。

自分の中の狂気を知っているからこそ、
前田慶次さんに対しては
大人の余裕で接しているように感じますが如何。

とにかく自分の美学を貫いて
一番かっこよく戦国時代を生きた武将だと
思います。

前田さんと比べると、どの伊達武者も
ちっさく見えてしまいます。

そんな前田さんも、とにかく信長様に
憧れていたんでしょうねえ~(妄想w。

戦国の世に終止符を打たんと
信長様とともに
天下布武に生きた熱い、赤い「侍魂」に、合掌~。

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織田(菅屋)長頼

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今日の気分は おだおなが!!(え。
菅屋長頼さんの登場ですっ。

「御長」と呼称されていたらしいので、
面長にしてみました(素)。

『信長公記』をよんでたら、
大活躍してはります(親・子・孫でも)。
ちなみに、
・親は織田酒造丞信房さん。織田一門ではないが、
 軍功により織田姓を許されたらしい。きっと信秀さんが許可。
・長頼さんの息子には勝次郎(二条御所で戦死)と、
 角蔵(本能寺に戦死)さん。

その他に思ったこと、
・筆者・太田牛一さんは旗本のことを旗元とかくようだ。
・江戸時代の浮世絵では「すがや」ではなく、
「(菅谷)すげのや」と読むようだ。

馬廻衆の五人の隊長(リーダー)、
福富秀勝・菅屋長頼・堀秀政・矢部家定・長谷川秀一は
(世代交代の追加で、森乱さん)
各種奉行をこなすので、軍事面での
元祖五奉行といっても過言じゃないでしょう。

んで、牛一さんが必定とよく使いはる言葉なので、
「必定の仕置人」で しめてみました。
お後がよろしいようでw

織田政権が天下を制した暁には、
信長様の命で菅屋長頼さんが、
外様大名お取り潰し業務を
ぐいぐい遂行したことでしょう。

京都に散った織田の
「侍魂」に、合掌~。

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イラストに「しょう」とサインいれたら、「はう」に見える(笑)

雑賀侍

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薩摩伝来の雑賀鉢をどっかで目にして
記憶に残ってたので、呼び起こして描いてみましたw

種子島に鉄砲が伝わって、
津田さんにより紀州に伝えられて、
鉄砲が爆発的に流行するわけやから、
雑賀鉢があっちに(九州に)
あってもええっちゅうことかいなあ~。

秀吉さんの九州征伐に従軍して、
散った侍さんから奪った
分捕り品なんでしょうか・・(妄想~)。

どこでみたんやろなあ~思いだせんです(>▽<;)。

絵に該当する武将は特定してません。

なので、陣羽織に
ついでにうちの家紋をいれてみました。
(どこをさがしても資料にない家紋w)

大久保の「大」みたく、
文字をかたどって「水」を表してるとすれば
先祖は水軍かなんかやってたんでしょかw。

「信長公記」では、雑賀衆は
水軍も経営してたみたいなんで、
お水系なのかなあ~という単純思考で
うちの家紋を入れたというオチです(汗)。

「この海で一番自由な奴が海賊王だ~」(ワンピースパクリ)

(なんか今日はゆるゆる頭ですねえ。会社疲れか・・)

たくましく時代を生きたであろう
雑賀の「侍魂」に合掌~。

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大久保忠世

今日の気分は大久保忠世・忠佐さん!(のつもりです。)
《1/21日 修正・長篠の髯とよばれるのは弟・忠佐さんでした》

信長様から、弟の忠佐は「長篠の髯」と
愛着を持って呼ばれた武将。
三国志の話しで、劉備の義兄弟・関羽を
「士を愛する」曹操が
自分の部下にほしがる気持ちに
似た感情が信長様にもあったんだろうなあと
思える話しです。

なので神様になってしまった関羽公に
もじって「美髯公」とかってに
ふってみましたw。

それにしても、
部下を褒められて嬉しい気持ちと、
「名誉也。」と大喜びする大久保家に対しての
自分を通り越した部分でのやりとりへの怒り。
家康さんは自尊心を傷つけられて、複雑な心境だった
かもしれませんねえ・・・。

のちに功臣・大久保家に対して
かなり冷遇なのは
このやりとりのせいなんでしょうか。

で、素朴な疑問なんですが、

屏風絵でも、配陣図でも、横に長く両軍が展開している様子
で、全部所で各個別に全面戦闘しているような
印象をうけるのですが、

『信長公記』を読んでいると、
最初に突撃してきたのが、山県昌景。
二番、武田正用軒(信廉)。
三番、西上野小幡一党。
四番、武田典厩。
五番、馬場美濃守。

日の出から羊の刻まで(9時間?)戦い
人数無人になり、勝頼旗元、鳳来寺へむけてどっと敗軍。
で、殿軍に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」です。

武田軍は一箇所に狙いを定めて順番に突撃してきてませんか?
(最高の釣りえさは徳川本陣に移動し前線につめかけた信長様本陣。
 内通誘動部隊、佐久間・水野隊の動きも気になりますが。)

で山県さんの如く鉄砲で死に、
部下が首を敵に取られまいと引き揚げ、
二番軍が助けようと進軍して、
入れ替わりのときに、大将首を狙って
ねちこくおっかけてたのが
大久保さん達なんだろうと思うのですが。

で信長様に「敵か味方かわからんあいつらは何だ?」と
いわれてたのかと。

華麗に戦ってたというんじゃなくて
味方の銃弾をよけつつ、
かつ敵の大将首を追っかける
その姿に、愛嬌があって
信長様が興味を惹かれたと
いうのでは如何。(妄想です!w)

大久保さんの武名を挙げんと
死地を駆け回った
「侍魂」に、合掌~。

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徳川家康

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今日は今までの流れ上、徳川家康さん!(のつもりですw)。

なんとなく失敗したんですが、家康さんだし
ま~いいかっ(え。

大御所になってからの白髪でプヨプヨしてはる
家康さんの肉をそぎおとして、
「味方ケ原」の敗戦で
爪をかんではる家康さんをプラスして、
若返らしてみましたw。

織田家 中心脳の自分は、
家康さんを同盟者として扱うと、
武田討伐後の
その後の処遇はどうなっていくんやろうと、
そればっかりかんがえてしまいますね。

「織田の家臣だった」じゃダメなんですか!(笑)

大須賀康高の横須賀城には
織田家の軍団が増援として入城しているわけだし。

高天神城を攻囲する
徳川軍の軍監として
織田家の奉行が普通に巡検しにいってますし。

摂津や、能登の砦に信長様直属の
奉行が検使として派遣されているのと
おんなじような気がしますが・・。

「姉川の合戦」にしても、徳川軍だけで朝倉軍を
崩したことになってますが、

加勢に丹羽長秀がつけられているし
(多くは伏せられているみたいです)。

常識的に人数多い方に、少ない方ぶつける
一か八かを信長様が選択するとは思えません。

なんぼか人数を割いてるはず。

歴史を大きく歪曲させてしまった
徳川家康公、
まさに「日本第一の大狸」ではないでしょうか!
(頼朝さんが後鳥羽上皇に放った「日本第一の大天狗」と
かけてみました。)

いいオチついた(すっきり)。

自分に天下が転がってくるまで、
野心を隠し通した家康さんの
忍耐の「侍魂」に、合掌です。

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戦国時代

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「戦国時代」に戻ってきました。

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明智(惟任)光秀

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今日の気分は、明智光秀さん(のつもりです)。

本能寺の変は、
光秀自身が「天下人の器」を見誤ったとしか
思えません。

千載一遇のチャンスではあったでしょうけど。

なんでこんな視野が狭い事件をおこしてしまったのか。

謀反後、諸将に対して、
「信長親子の悪逆非道」と記すのですが、
日ノ本を治める天道に対しての
非道を示しているとするならば
「足利将軍を追放した信長のような」
天下の正道のもとに自分(光秀)がいると
解釈できなくもないのかなあ・・。

信長様の目指すものが、日本統一など眼中になく、
旧秩序の破壊の上に、三国統一(日本・唐・天竺)という
計り知れないものへと向かっているとしたら・・
(狂信的に秀吉さんが渡海を目指すほどに)。

(あまりに武田家討伐があっけなかったので、
 海外にも「いける」
 と思ってたりしませんかねえ(笑)。)

常識人の光秀さんにとっては、
自分の将来も、
日本の行く末も、
見えなくなってしまって、
「ここで信長様を止めないと」
という感情もあったのかとも
(上総広常が上洛を急ぐ頼朝をひきとめたような、
 超保守的な感情・・)。

惟住長秀さんが南海道の将に抜擢され、
中国地方は羽柴家に蓋をされ、
光秀さんの領土拡張の行く先が確かにありませんし。

朝廷をないがしろにしがちで、
「征夷大将軍」にも魅力をかんじていない
信長様をみてたら、
いったいどこ目指してるの?
と不安にもなるかなあ。

上杉謙信公は旧体制の復活と
秩序の回復こそ日本の政治(天下)の正しい姿と
考えていましたし、
謙信公が信長様の部下だったら、
信長様の野心が見え隠れしだして
あらわとなったこのタイミングで
やっぱり謀反してそうやなあ~
と思うのですが如何?
(光秀さんと謙信公の思想がにているとすればですよw)。

斉藤利三さんの暗躍もあったのでしょうし、
吉田兼実さんの暗躍もあったでしょうし、
「このまま織田家がどこまでもつっぱしるのか??・・・」という
とにかくいろんな人達が社会不安だったんでしょう。

それにしても、自分達の保身の為に
「夢を潰した」というか、
「足を引っ張った」というか、
それだけの狭い度量で「変」をおこしたのなら
許せないなあ~。

やはり、大いなる思想のもとに、
「天下」の行く末を考えた末での
謀反なら、納得できます。

坂本竜馬さんも、単なるテロで
死んだというのも納得いかないですし。

それぞれの未来像へのぶつかりあいで
「天命尽きた」のならば、
ここであなたの役割が終了したと
いうことで納得しますけど。

「運命の分かれ道」、「あの時こうだったら」
という思いが自分は強いみたいです。
だから歴史にひかれるのかな(笑)。

ということで、
時代を覆す行動力をもっていた
光秀さんの孤高の「侍魂」に、
合掌~。

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惟住(丹羽)長秀

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今日の気分は惟住長秀!

織田信長様の御学友にて、戦友でもあり、
信長様も五郎左(長秀)は「兄弟のようなもの」だと
重臣中でもずば抜けた信頼をよせています。
なので「分身」のようなものかと
台詞つけさせてもらいました。(妄想ですw)

1560年「桶狭間合戦」にも傍で活躍していたとか。

長秀さんの特徴としては、
妖刀「景清あざ丸」を所持してたときに
眼病を患ったらしいので、
視力が問題かなとおもい、
当時宣教師さんがもちこんだ眼鏡とも
おもったんですが、顔が隠れてしまうので、
片眼鏡にしてみました(流行するのは18世紀らしい)。

イギリスでは上流階級の執事さんがしてるとかで、
まあ長秀さんにピッタリか(自己満足)。

兜は「余吾庄合戦図屏風」から、
烏帽子の形っぽいけど、前田利家さんや
加藤清正さんとかぶるので別の
「桃形」ってものにしました(これも妄想ですから)。

1575年頃から、畿内で局地的方面軍が編成されたとき、
北畿方面の
丹波攻略に向かう明智光秀が「惟任」、ライバルとして
若狭鎮定に向かう丹羽長秀が「惟住」になったんじゃないかと
自分では思ってます。

南畿方面には信長様と柴田勝家の義兄弟・塙直政が
「原田」直政となって担当官となったのでは?。

佐和山城は六角と浅井の国境線に位置し(元城主は磯野員昌)、
尾張・美濃からの補給物資を、「原田」「惟任」「柴田」へと中継する
要所でもあったのだろうと思うのですが、これ如何。

惟任軍団が長岡藤孝・津田信澄を与力として局地的に
北西畿平定に動いているとするならば、
地理的にみて、北東畿は長秀さんが担当官で、
武藤舜秀・羽柴秀吉が与力な
頃もあったんかなあ・・・(平定済みで各個分立なんでしょか)。

協力関係にはあったとおもうのですが・・。

秀吉軍が1577年柴田勝家と衝突して
自領に戻り、中国方面に単独で遠征に行くのも、

長秀さんのとりなしがあって、なんとか徐封を免れ、
佐久間信盛さんの折檻状のように、
「いずこなりとも攻め入って名誉回復してみろ!」
という信長様の怒りの心理を利用して、
大博打に出た秀吉さんの勝利という感じなのでは
ないでしょうか(妄想~)笑。

(羽柴家中では新庄直頼の動きが
中国平定軍にも加わらず、
とてもとても気になってます。
北近江にのこり丹羽長秀与力とかでしょうか。
親戚が佐久間盛政だから事績けされてるだけかな?)

長秀さんが、そのうち若狭を支配することになりますが、
北陸道・中仙道・日本海航路を抑える長秀さんの役割は
石高では測れない莫大な財産管理を信長様に委ねられている
ということなのでは。
安土城の普請奉行をこなせるのも、その豊富な資金力が
あったからでは?。

他の軍団長に比べて出世がおくれたと評価されてるのが
どうにも・・・です。
中央の政治に近いほうが、実質権力者では?
(遠隔地の抑えを任された、柴田勝家さん、
瀧川一益さん、蒲生氏郷さんの嘆きのように)。
信長さんも相談役として傍にいてほしかったから、
なかなか地方軍団長に放り出せなかったのでは?

信長様の三男・信孝が四国平定軍の総帥に抜擢されますが、
今まで総大将を務めたことがない
未知数な信孝さんに全てが依存されていたとは
思えません。
実際中核軍となるのは後見役を任せられた
惟住長秀だったと思うので、
自分の中では長秀さんが大軍団長格です。
希望的観測ですが、きっと瀧川一益さんのように
四国で九州方面軍総帥になってただろうと・・・。

信長様が次世代を支えそうな有力家臣に
長秀さんの娘をどんどん嫁入りさせて
婚姻政策をすすめていくのも、長秀さんが信長様と
一心同体だということでしょう。

とにかく、今どの本を読んでいても
長秀さんの評価が低くて謎なんで
もちっとヨイショしたくて
ながなが書かせていただきました(笑)。

秀吉さんも憧れた、
信長公の分身にして、「天下布武」の
実務担当者・惟住長秀さんの
気高き「侍魂」に合掌。

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長秀さん精一杯ヨイショしましたっ!(名誉復権運動)



瀧川一益

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今日の気分は、「攻めるも瀧川、退くも瀧川。」で
瀧川一益さんです。(のつもりです。)

自分の中では「左近」といえば瀧川です!

関ヶ原での勝利を装飾するために
勇者に仕立て上げられた
島左近なんて、とんでけ~(ウキャー

ほんと江戸時代にここまで
一益さんが、
名をオトシメラレルトハ(涙。という気分です。

「左近」一益さんが、すっかりかすんで
しまっているじゃまいか。

んで「左近」の由来を想像してみたんですが、
信長様の愛刀が備前刀で、刀工の銘が
「左近将監」だったりするらしいです。

瀧川さんが信長様の意向で官位を
与えられていたとすれば、一益は
織田家の名刀だよって
信長様に認められていたということじゃないですか?
(妄想がふくらみます(笑))。

今日は映画のブレードみてたんですが
あれは「サムライソード」ってやつなのかなあ。

海外映画にも使われるなんて、
日本刀は素晴らしいなあ(ボソ。

ってか、瀧川一益さんの得意な武器は
「鉄砲」で、明智光秀さんが
でてくるより早くに、かなり使いこなしていた
みたいです。
本人と刀とはあんまり関係なさそうですね(笑)。

「鉄甲船」もつくってはるし、常に時代の先端
をいく技術者集団を抱えた侍大将でもあったようです。

信長様もそこを高く評価して、伊勢攻略をまかせ、
信長様家臣中で最初の軍団長にもなったわけやし。

信長さんが北口の美濃攻略に専念している間は、
東海道の西は瀧川、東は徳川にまかせた。
みたいな感覚かな~とも思ってます(妄想)。

戦争革命の先駆者、
一益さんの
あらぶる「侍魂」に合掌。

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一益さん精一杯ヨイショしましたっ!(名誉復権運動)

柴田勝家

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今日の気分は「鬼柴田!!」
ってかんじで柴田勝家さんです。(のつもりです。)

しばらく織田家の軍団長でいこかなあ~。
(なんせ好きなんでw)

柴田さんといえば、本陣馬標(馬印)の「金の御幣」。
御幣とは、梵天を指し、
梵天とは仏教の守護神にして、
生産の神様とか。

柴田さんは内政にも優れていたし
ぴったりといえば、
ぴったりな馬標なのかもなあと思います。

伊勢長島で一揆に奪われたところを
小姓・毛受勝照が奪いかえす話しとか、

「賤ケ岳の合戦」で毛受勝照が、
勝家の身代わりとなり羽柴軍に突撃するときに
その馬標を貰い受ける話しとか、

ドラマチックな逸話があり、
さすが織田家を支えてきた
歴戦の武将の軍団なのだなあと
感じずにはいられません。

越後の毘沙門天と「武」で戦えるのは
柴田さんや、その配下のつわもの達が
適役と信長様も考えていたのでしょう。

鬼門の抑えは鬼柴田軍団で。

北陸道に散った梵天の
あらぶる「侍魂」に合掌。

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羽柴秀吉

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今日の気分は、羽柴藤吉郎。(のつもり。)

前田家伝来の秀吉さんの唐冠様の兜を見て、
(実戦仕様のシンプルなものらしいです、これでもっ)
なんかカッコイイナ~とおもって、
秀吉さんの顔をあてはめてみたくなり、
ついつい描いてしまいました。

前々から思ってたんですが、
平安美人が現代ではもさく見えるとか(おれだけっ?)
世の流行により、美形の評価は変化するというので、

「(親しみをこめて)はげネズミ!」

と信長様から呼ばれてた秀吉さんですが、
現代に置き換えると、ちょっと尖り気味な輪郭なかんじで
以外に男前だったんじゃあないのかなあ~と
思うのはまたしても俺だけっ?w

マイナー武将をピックアップと
こないだは思ったのに、
いきなり王道をいっちゃいました・・・。

日輪は秀吉さんのキャッチフレーズ
だったと思います。で、
蜂須賀党とか焦土作戦が得意と
どっかで頭にすりこまれたきがするのでw
織田家が「火攻め」好きなのかな?
まあ、そういうイメージで。

秀吉さんについては、
「本能寺の変」までの時期が好きです。

あとは狂っていってると思います。
豊臣になってからは、もう見てられない・・(涙)。

信濃・甲斐を家康さんから奪ったのは
評価できますけど。

関東じゃなくて、島津と毛利の間とかに
土地あげればよかったのに(笑)

なんというか、光秀・秀吉・家康さんには
複雑な気持ちが渦巻きます。

「天下人」の侍魂に、
合掌。

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富永直勝

今日の気分は、アオゾナエ(青備え)。

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戦国時代、相模の後北条氏の誇る戦闘集団、
あおぞなえ
旗頭・富永直勝さんです。(のつもりです。)

北条早雲の代から、富永家は仕え
相模の青波で関東を席巻し、
関東平野を飲み込みます。

遠山氏とともに江戸城主となり、
遠山氏は行政面、富永氏は
譜代家臣の中でも
武門の重鎮として武蔵平野を抑えます。

後に「地黄八幡」で有名になる
北条(福島)綱成が
今川家中での反乱に敗れ、
北条家で育てられ、黄備えの旗頭として
「河越夜戦」の勝利で有名となりますが、

初期北条家を支えていたのは
「青備えです !!」

なぜか変なコダワリw

武田は赤備えがあるし、
上杉はなんとなく漆黒のイメージ。
さがみっぱらの大将、
北条は太平洋の青でしょう!

ちなみに直勝の子孫は、
北条氏邦の藤田家への
養子入りに付き家老として従い、
猛将・猪俣(富永)邦憲となり、

徳川家康の勝てなかった、
(徳川家康の勝てなかった!ここ重要ですw)

真田昌幸の領地を奪い取り、
秀吉の「小田原征伐」の原因を作って
しまったという、最初と最後を飾る運命も
持っているのですが。

後北条氏の命運を左右してしまった一族の
初代江戸城主・富永直勝の
「青き侍魂」に合掌~。

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東国の戦国大名、
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