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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
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相馬義胤

odano684.jpg

奥州伊達家の濃い血を受け継ぎながらも、

「新皇」平ノ将門(相馬の小次郎)の子孫として、

相馬家の侍として伊達家と敢闘した、
相馬義胤さんです!(のつもりですw)

伊達家の家臣団、芦名家の家臣団を
調べてたんですが、なんでか相馬義胤さんの
兜・鎧が、頭に こびりついて離れなくなったので
描いてみました。

あ~すっきりw

しかし、なんで蜂なんでしょう?。

伊達成実さんと同じ昆虫シリーズです。

鯰尾とかは国を揺るがす意味とかあるんで、
蜂は二度刺されたら死にますから、

「俺の顔を二回目みたときは
 お前しんでるぞ!」

なんていう意味合いなんでしょうかね~(妄想。

織田が天下を統一したあかつきには、
信忠さんとおなじ平家出身というゴリ押しの
既成事実によって、厚遇されただろうなあ・・(ボソリw。

相馬の孫次郎、
あらぶる義胤さんの「侍魂」に合掌。

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伊達成実

こんばんは、最近は
東国偏重気味脳内のしょうちんですw。
odano682.jpg

今日は伊達政宗の従兄弟、
伊達成実さんの登場です!

兜の前立てはたしか毛虫だったとおもいますが、
毛虫だとかわいくなってしまいそうなので
ムカデにしてみました。

「戦いの中で引く事はない!」
ということでバックできない虫を選んだらしい
成実さんの 「ぽりすいぃ~~~~~」。

「侍」ですw。

朝鮮の役に従軍後、伊達家中にて
不穏な空気が流れたようです。

この前後で出奔者がすごい。

伊達政宗のような人でも、
家臣に見切りつけられるんですねえ・・。

で、章邯となんで例えたかというと、
(例えなくてもいいのですが、仕様です。)
章邯さんは秦の名将で、
末期の秦の中で、ひとり気を吐いて
軍功をたてるのですが、英雄を嫌う官僚社会で、

「勝っても負けても秦には
 貴方の戻る場所はありません。」

という内憂外患で進退きわまり、守ろうとした
秦の国に一族は殺害されるという
という哀しい境遇の武将です。

成実さんも、出奔の罪で
伊達政宗の命により、法の忠実な
業務執行人・屋代景頼に家族を抹殺
されます。

芦名家との「人取橋合戦」で勝利できたのも、
成実さんの粘り越しの軍功あってこそ
だと思うのですが・・・。

というわけで、
あらぶる成実さんの「侍魂」に合掌。


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安倍頼良

今日はいきなり平安時代。

odano677.jpg
奥州の王、
東夷の酋長とよばれる、

安倍頼良です(のつもりですw)。

陸奥守として奥州にやってきた源ノ頼義に
遠慮して、頼時に改名したとか。

安倍氏に関して、神話からの説を信じれば、

河内国の志貴あたりを根拠とする(今の大阪、八尾)
物部氏の先祖が、西の朝廷の東征に追われ、
信濃諏訪やらも追われて、奥州にたどりつき
アテルイや、まつらわざるものの英雄を生み出し、
安倍氏にいたるのかなあ・・・。

というような気分で描いてみました。

「前九年の役」で、安倍頼良と源ノ頼義
が戦い、

河内国に土着した頼信流の源氏が
奥州に名を馳せるのも、
不思議な縁だなあ~と思います。

朝廷との争乱に散った、
奥州王・安倍頼良の
あらぶる「侍魂」に合掌。


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万見重元

odano675.jpg
今日は、信長様の小姓にして、側近。
奉行(五奉行)としても、
武将(親衛隊隊長)としても活躍した、
信長様の寵童・万見仙千代さんです(のつもりです)。

織田一族とも、近江の神子田長門の息とも
いわれてますが、その用いられ方からして、
なにかしら
織田と由緒のある人物なのでしょう。

上様(信長様)の御気色を伺い
うまく報告してあげましょう、
と織田家臣団からの陳情をいれ、
代弁してあげることができる
頼りになる貴重な人物だったようです。

信長様のことをよく観察して
性格を見通していたから万見かなあ~
と短絡的に、四文字熟語の眼光紙背
といれてみました。

仙千代さんは1578年
堀秀政さん、菅屋長頼さんと
三人で鉄砲衆を引き連れ
伊丹城を攻撃した際に、討死。

この人も生きていたならば、
堀さんの如く、織田家にとって
なくてはならない武将に育っていたかと
思います・・・。

惜しくも戦陣に亡くなりますが、
信長様の為に散ったことは本望だった
ことでしょう
(信長様、心で泣いただろうな・・)。

天下布武に散った、
誇り高き親衛隊隊長
万見さんの「侍魂」に合掌。

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岩室重休

「テスタロッッツァ!(赤の一番)」
と呼んだほうがいいのかw

今日は信長様の親衛隊で、
小姓衆から選抜された初期「赤幌衆」の
岩室重休さんです!(のつもりですw)
odano673.jpg

同じ小姓あがりの前田利家さんや
大津長昌さん、
万見仙千代さんや、森乱○さんが
ペーペーの頃に、最も信長様が親しくしてた、
というか信頼を置いていた侍さんです。

信長さんのことを最も良く理解し、若い頃の
その「狂気」も、共有していたことでしょう。

1560年、今川軍にむかって突然出陣した
信長様に追従した五騎のひとりらしいです。

まさにツーカーですね。

惜しくも戦陣に亡くなりますが、
信長様の為に散ったことは本望だった
ことでしょう(泣いただろうな・・)。

天下布武に散った、
誇り高き赤武者、
岩室さんの「侍魂」に合掌。

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川尻秀長

「黒の一番」
川尻秀隆さんの息子、川尻秀長さんです。
odano671.jpg

今日の気分は、
織田信忠さんの家臣団シリーズ
(いつからシリーズにw)

父上・川尻秀隆は清洲織田大和守家の人で、
代々清洲家老の川尻家に養子に入ったとも。
(本当なら遠縁の織田一族じゃまいか)

与力を従える馬廻衆(小部隊長)
から選抜された
信長様の親衛隊「黒母衣衆」
の筆頭武者。
家柄だけでなく、
武威は織田家でも突出する侍だったと思われます。

織田の嫡男・信忠さんの後見人として、
信長様の乳兄弟の
池田恒興とコンビを組んで東美濃支配。

池田恒興が畿内の信忠軍のリーダーとして
転出してからも、東美濃にて
最大のライバル武田との国境線を
守備しつづけるだけでなく、
木曽義昌、小笠原信嶺に圧力をかけつづけ
離反を促したのは、「黒の一番」の覇気だと思います。

1582年甲斐乱入の信忠さん本体の主力部隊として
手堅く武田軍を殲滅していく手腕といい、
甲斐と信濃の一部を恩賞で与えられたのは当然
だったことでしょう。

秀隆さんは武田館にいたらしいし、
部下の甲斐代官の名前も伝わってますが、
川尻秀長さんが生き残れたのは、
変時に領地の一部の信濃にでもいて
徳川の魔の手から脱出することが
できたのでしょうか。

秀長さんの生年は、父上の年齢からして
多分1550年代と推定され、信忠さんと同年代
のようです(森さんとも同世代)。

秀長さんも織田の天下ともなれば
室町幕府の三管領のような
織田になくてはならない人となってたかもなあ・・・。

秀吉さん政権下では森長可の陪臣として
美濃にて1万石の薄給。転封には従わず美濃に
居残ったため、
1600年関ヶ原の混乱に戦死するようですが、
詳しいことは伝わっていません。

織田政権を簒奪した、秀吉。
父の領地を奪った徳川の世では、
力を与えられなかったのは、これまた当然
だったことでしょう。

斯波の末裔・毛利秀頼さんは旧領回復したから
政治力あったんかなあ・・・。
(第一世代の武将だから当然か・・)

旧主斯波と、清洲家老・川尻の相性も
悪そうだなあ・・・。

とまたまた、話しがそれてきますがw

誇り高き黒の一番を背負った
川尻の「侍魂」に合掌。

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織田信忠

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今日はなんでか
織田信忠さんのことを思って絵を描きました。

平家つながりで、清盛公の息子さんの
平ノ知盛さんの事を考えていて、

彼が惣領の兄・宗盛に代り、
軍事面での総大将として源氏に抗し
「一ノ谷の合戦」での死地を、
「総大将が死んではいけない」
と息子に逃がされ、

最後は「壇ノ浦の合戦」で、一門の最後を見届け、
「見るべき程の事は見つ、今は自害せん。」と
散っていきますが、

知盛さんを、さあ描こうか、

と思ってたら、
なんでか信忠さんの事で頭が一杯にw

信忠さんは最後は何考えてはったんやろ・・。

親父殿を天下人にすることができず、
惟任の謀反心に気付かず
守れなかった失態を反省して
あの世で謝りますとか思っていたのか。

武田の松姫さんを迎えに行けなかった
事を悔いていたか。

織田家の将来は、森長可さん、
蒲生氏郷さん、池田元助さん、
長谷川秀一さん、
堀秀政さんがいるから、
他にも戦友が各地で健在でいるから
皆で仇をとって、揺るがないものと
してくれるであろうと、織田の天下を
心配はしていなかったのか・・。

最後惟任勢に対して力の限り奮戦して
散り花を咲かせたので、
潔い気持ちで逝ったのか・・。

『平家物語』ファンっぽい信忠さんなら
知盛さんの
この台詞を思い出していたかなあ
なんて考えていました。

志半ばで散っていった
信忠さんの「侍魂」に合掌。(;_;)A"

平ノ知盛さんの「侍魂」にも合掌。

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平清盛

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今日は平家つながりで、平ノ清盛公ですっ!

『愚菅抄』には
「保元の乱:1156年」以降、
「ムサノ(武者の)世」到来と記されたそうですが、

その むしゃの世に、
「力は山を抜き、気は世を蓋う。」
という中国の覇王・項羽の名言の
日本語版を体現できた人は清盛公ではないかなあ~、
ということで項羽さんの台詞を入れさせてもらいました。

六波羅蜜寺に収められた清盛公の木造の
写真をみながら、兜つけてたら
こんなんかなあ~と。

経文を両手に持ってはるのが
印象的です。けど私バージョンでは太刀ですw

よく考えてみたら、
お父さん平ノ忠盛公は
藤原純友も、源ノ義親もなしえなかった
初代海賊王ですねえ。
しかも政府公認。
親父さんも実は凄い人だ・・。

太政大臣にまで登りつめ
新しい時代を切り拓いた、
平ノ清盛公の
「侍魂」に合掌。

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平知章

今日は源平の平家方で。
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織田信忠さんの腹臣、森長可さんと同じ「武蔵守」
ということで、平ノ知章さんが気になる武将です。
(あんちょくで すみません。笑)

清盛さんの息子で平家の総大将となる
平ノ知盛の息子さんです。
源ノ範頼・義経兄弟との「一ノ谷の合戦」にて、
父・平ノ知盛を救援し、
武蔵児玉党の武者達と戦い、
16歳の若さで戦死します。

自分が戦っている間に父を逃がすという
これまた哀しい運命なんですが。
武門に生まれた男子の宿命というか
潔い侍魂ですねえ。

平家方の武将を始めて描いたのですが、
イメージとしては、
武具は弓でも海上戦に適した遠矢用の巨大な強弓、
手持ち武具は剣よりナギナタ、
鎧は軽量な腹巻き型、装飾華美、兜は弓矢避けが
九州系が縦型、関東系が横型になるのんかなあ
と漠然と思ってるんですが、どうなんでしょ(笑。
とりあえずこんなかんじで描き分けしてこかなと・・。

関東武者は接近戦の騎射主体なので弓は九州系に
比べて短いかなあと思うのですが。

奥州騎馬武者の戦闘スタイルは太刀主体なのかなあ。
なんであんなに脆かったのか、謎です。

話しがまたそれてきましたが、
そおゆうわけで(どういうわけやと一人ツッコミ)。

平ノ武蔵守 知章の
「孝」の侍魂に合掌。

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護良親王

吉川英治の「私本太平記」を
読み返してみたりなんかしてw 読書の秋
頭の中が右脳左脳で南北朝状態です(笑。

というわけで今日は護良親王です。
odano655.jpg
「もりよし」とも、「もりなが」とも読めるらしいです。
自分的には小学生の頃、
友達と同じ名前やということで覚えた
「もりなが」の方が親近感ありです(笑。

戦う天皇、後醍醐天皇もすごいけど
楠木正成・赤松円心ら悪党と連携をとり
世を揺るがした護良親王のほうが好きです。

幕府の意向で比叡山に出家させられても、
叡山大塔宮座主となっても、
僧兵を集めて軍事調練をしていたとか。

護良親王が活動を始めてから、
鎌倉幕府打倒のめどが立った感じがします。

この人がいなかったら、鎌倉時代はもう少し
続いていたかもなあ。

とゆうわけで兜の飾りは、
護良親王がゲリラ活動の根拠地とした
 ゆかりのある
吉野の蔵王権現のつもりです。

他の兄弟たちも父親の為に散ってきますけど
後醍醐天皇は父親としてもとても魅力のある人物
だったのかなあ。

「君のため 世のためなにか をしからむ
 捨ててかひある 命なりせば」 (宗良親王)


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高師直

室町つながりで、今日は「天下の執事」高ノ師直です。
odano653.jpg

南朝方の奥州軍を率いる北畠顕家を打ち破り、

南紀の悪党を率いる楠木正行を打ち破り、

足利幕府への貢献度は絶大です。

父上の高ノ師重さんが、比叡山表で戦死するところなど、
朝倉・浅井連合軍に敗れた織田家の武将・森可成に
イメージがかぶります。

森可成の息子・長可さんが
織田信忠さんの執事として
織田政権で号令してたらなあ~(ボソ。

時代がそれましたがw

師直さんの名言「王などいらぬ、木か金(かね)でつくってしまえ」

全ての権威を否定するほどの自負心が
時代を動かす人には備わってんでしょう。

その気持ちが主人にむけられたとき、
主人は飼い犬を殺すということなんでしょうか。

足利兄弟と師直の関係、なぞっす。


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足利尊氏

この現代世界の混乱の原因は・・・。

ということで混乱つながりで、
中世の混沌とした日本に
覇権を握った足利尊氏さんを描いてみました。
odano645.jpg

人相は、お地蔵さんに似ていたとか。

尊氏さんの性格は、夢想国師曰く、
生死に超脱している。
慈悲心深く人の非もよくゆるす。
無欲恬淡で慳貪の風がない。

しかし、一方では
悪と善、鬼と仏、相反する
二つのものを一体のうちに交錯して持つとも
評されています。

人間らしいといえば 人間らしい・・。

弟や息子と血みどろの戦いを
なぜ繰り広げなければならなくなるのか、

いろんな人が尊氏の心の中を
通り過ぎてったと
思います。

興味つきない武将だと思います。

それにしても南北朝 おもろいよなあ~。
もっとドラマの題材にとりあげてほしいです。
(時代背景がややこしいのかなあ・・。)

吉野にも、死ぬまでにもう一度行きたいです。

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尼子侍

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尼子侍として描いてみました。

「雲陽軍実記」にかっこいい騎馬武者の写真がありましたので。

米沢上杉博物館の川中島合戦図屏風に、ほろと背負い飾りをしょった村上義清が
描かれてますので、実戦向きではなく かぶいた盛装という感じで、

騎馬武者を描いてみました。

派手好きな武将ならこれくらいのことするかもしれません。

それにしても、

緒方拳さん、
なくなりはったんですねえ・・(泣。

拳さんの演じた、
尼子経久はめちゃカッコヨカッタです。
なので尼子家が今でもけっこう好きです。


ご冥福を お祈り申し上げます。
侍魂に合掌。

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源頼朝

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本日のお題は、みなもとの~

あっみなもとの~ 頼朝さんです!

幼名・鬼武者ってほんまですか~?! なのです。

肖像画をずーっとみとったんですが、
みればみるほど、昔大河で頼朝さんを
演じてはった石坂さんに似てますよねw

でも、この肖像画も尊氏さんの弟
足利直義じゃないかと
疑惑があるそうですが・・・。

なので伝・頼朝さんの木像を
じーっとみること1分(みじかっ)

当時の資料でつたわるところによると、
顔おっきいが端整。(もてはるしなあ~)
鎧から身長は165cm(当時としては高身長)、
わりとふとり気味というようなことで。

描き上げましたw
甲冑武者の肖像画がないひとほど、
鎧を着せたい年頃なのです。

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鎌倉景正

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最近、気になってる武将ということで、
「後三年」で源ノ義家に従い奥羽に出陣した、
相模の豪族の子、鎌倉景正を描いてみました。

自分の中で隻眼の武将といえば、
三国志で曹操配下の武将・夏候惇です。
たとえるとすればこの人でしょう
(たとえなくてもいいんだけど、仕様です)。

矢をひきぬこうとした三浦さんの足を切り払おう
としたと伝わりますが、
痛いから乱暴にするなと!
腹がたっただけということは、
ないのかなあ~( ̄ー ̄)ウヒ。

出自は坂東平家の子孫のようです。

景通の子孫ということで、
「前九年」で活躍した藤原景通と
かかわりがあるのかと思ってましたが、
違うかったみたいです。

確かに藤原から平家を名乗るのも変かなあ。

信長様も、藤原から平家に乗り換えた気がしますが、
それはそれ、ということでw

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源義家

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今日はなんでか大御所、源ノ義家さんを
バカ殿様をみながら
描いていました(謎。

元祖・大鎧が気になってたから
ついつい一番古そうなとこに
遡ったっちゅう感じでしょうか。

甲冑の発展史がよくわかってないのですが、
兜の前立てが為朝のにはついてないけど、
「前九年合戦絵詞」の義家像にはついてるので。

時代が新しくなるに従って、装飾化または、
だんだん巨大化していくのでしょうか。

義家さんは入京の際に軍隊を洛外で
解散させられるなど、
ローマの将軍のような扱いを受けてます。
さしずめ日本のカエサルw

日本を牛耳る事ができる、初代「武家の棟梁」
だったと思いますが、最後まで朝廷に忠実ですねえ。

武芸に生きることに徹した
河内の侍魂に、合掌。

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鎌田盛政・光政 兄弟

昨日につづいてっ、
源平の登場人物では、鎌田兄弟が気になりまっす!!
odano629.jpg

源氏累代の家人、鎌田政清さんの息子さん達です。

義経を幼少の頃から見守り、
天狗と化して、武芸・武士道を叩き込んだのは
この兄弟だったんじゃ~ないのでしょうか?

盛政さんは「一の谷の合戦」で、
光政さんは「屋島の合戦」で戦死しています。

「壇ノ浦の合戦」までに戦死しているからか、
後世の扱いが軽んじられているような気がします。

とゆうか、鎌倉幕府にとって
源家の宿老・鎌田家の兄弟が
頼朝ではなく、義経に従っていたのが問題で
頼朝嫡流の正当性の為にも活躍を隠蔽されてたり
するんじゃないでしょうか。

ちなみに鎌田兄弟がはずれた場合の四天王は
伊勢義盛と、駿河次郎。
この人達もなくてはならない人達ですけど。

後世、織田信忠さんの介錯をしたのが鎌田新介なので
どうしても鎌田がきになる年頃なのです。

打倒平家に生きた、二人の侍魂に、
合掌。

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佐藤継信・佐藤忠信 兄弟

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突然ですが、源平では義経を支えて散っていった
佐藤兄弟が好きです!

藤原秀衡の指示で、源ノ義経の与力となった、
真の奥州代表です。

源ノ頼朝は、義経をみているのではなくて
この兄弟とその背後にあるものに
怖れを抱いていたと思います。

それにしても義経への援軍が
兄弟二騎ってことはないだろうと思います。
この二人の下に数十騎の寄騎がついていたはず。
あちらの貴公子なんですから。

秀吉が本多忠勝に下賜した
伝・佐藤の兜はシンプルでカッコイイですね。
前立てはとれてるんでしょうか。
もし、ついてたら、
アイヌの酋長達が大事に抱えている
鍬形が、鎌倉期の東北武将のものだろなあと
漠然としたイメージ。

大鎧は、当世具足より描きづらかったです。

騎射が当時の戦闘の基本だったらしいですが、
奥州侍は太刀の方が専門なんでしょうか?
「炎たつ」で鉄鉱石豊富なことから、
安倍氏では太刀が発展してたと、みたような
気がしてるんですが。きのせいかな~w
(こおゆう感じで、ちゃんと検証してませんから。)

継信が盾となって身代わりに討死し、
忠信が頼朝の追っ手をひきつけて壮絶な自害。
見事に名を残しました。

忠義に生きた、二人の侍魂に、
合掌。

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