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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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羽柴秀吉(豊臣秀吉)の頁を更新

趣味のHP、天下侍魂(世界に広めようポジティブ魂)
の更新をしました。

といっても秀吉の家臣団のページだけなんですけどお(;--)。

突然、気になりだして頑張っちゃいました。

林秀貞つながりで、尾張にあと林ってゆったら、
秀吉さんの従兄弟が林孫兵衛?
一柳直末さんは河野分流稲葉一族つながり、
と頭の中がそれから離れなくなって
秀吉家臣団に目がいっちゃったんですが。

「武功夜話」が偽書でも、昔の人が書いた中に真実が一部でも
含まれているなら、俺はワクワクしてきます。

歴史への興味を閉ざす必要はないとおもいます。
嫌いな先生に教えられたら、
その教科が嫌いになるみたくなるでしょ。

あんまり頭ごなしに否定せんでも、
歴史に興味を持てるような
きっかけになれば、ええんとちゃうのんかなあ。

その人それぞれが、自分の真実を信じて
歴史を理解していてもいいかと・・

国家間の歴史認識とかいっちゃうと涙ですけど。

こおゆうことも、
「学問だ!」と次元を高めていってしまうと
認識の相違は許せないことかもしれませんが、
俺は博士でも教授でもないので許してたもれ、
と相変わらずファジーな路線で生きてます。

職場では適当な報告を書くことは、
許してもらえませんけど(はけぐちを求めているのか俺w)。


「都辺に行かむ船もが刈薦(かりこも)の
 乱れて思ふ言告げやらむ。」(遣新羅使)
 
「都へ行く船はないものかな
 刈り取った薦のように乱れる思いを
 言葉にして貴方に伝えたいものだ」

趣味の世界なので、間違いがたくさん、
つっこみどころも沢山あるかと思いますが
おおきな心でご寛容ください。
天侍を見てくれてる人、サンキューですっ!!(^▽^)ノ
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どしゃぶりの雨

どしゃぶりの雨が~♪
通り過ぎる頃には、
探してた言葉ぁ~♪
み~つ~かるかもしれ~ない(OH~OH~YEA~♪)
<ジギーの曲は俺の元気が出る唄BEST5です。>

が今日のテーマソングで、朝、通勤の車で唄ってました。
今日一日咳とまらんかったんわそのせいかな?。

先々週からのマイコプラズマは撃退できたみたいなのですけど
咳が残っていて、お医者さんからは
ぜんそくもってたりしました?と聞かれてます。

もってんのかな?
(治らん事にはプールも海もないよなあ。)

病気にかこつけてブログをさぼって
たんですが、久々に書く気になったのは、
天下侍魂を見てくれている人たちがいるので(^^)、
お礼を言いたかったのです。
おかげさまで、
ヤフー検索で、「織田信長 家臣団」 といれると、
なんと1ページ目に表示されるようになりました。わ~~い♪
看板に恥じないように内容も充実させてかなくちゃなああ
(37歳でわ~い♪とかいうなというツッコミきそうですな。汗)

日本に生まれたので、この国で切磋琢磨して
時代を築いてきた人たちのことを
俺はよく知りたいです。

日本人が一番すきな歴史上の人物は織田信長と
いう定番どおり、俺も大好きです。

でも、織田信長さんは憧れますが、自分の上司とかだと、
確実に俺は謀反に走るよなあ~と大人(社会人)になって
思うようになりましたw。

俺は誰も傷つけないで生きたいです
(だから俺に干渉するな、という裏返しでもあるのかもですけど。
内面は人里はなれた山奥に出家したいw でも俗世から離れられない
の繰り返しなんかなあ。)。

今の世になにも成すことの出来ない一生なのかなあと
人生の先が見えかけてきてるような気もしますが、
自分をぶつけれるもんがHPで作れてよかったなあと思います。

こうして検索してみつけて、買ってくれている人がいると
勇気づけられます。
歴史好きの人の役にたてればいいなあ。

で、最近きがついたことで
織田信長の重臣筆頭の林秀貞さんの系譜が、
美濃の稲葉(河野系)家に繋がるもので、
稲葉の林通政(通慶)は斉藤道三の軍隊の旗頭を務める人物だったらしい
ということ!しかも森可成の奥方は林系。
おお~大発見って思って検索してみたら、すでに発表されてたみたいで
知る人ぞ知るネタだったんですねえ(がっくしw

と長く織田家ファンのくせにボケっとしてますが、
この調子で積み上げていきたいです。
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信長・謙信・信玄

ホームページ「天下侍魂」
(直訳=「てんかまえむき心」ということで)
の信長様と、
謙信公と信玄公のページを、
ちょいと改造してみましたw

少し見やすくなったかなあ~?

こおゆうのんしてる時が
楽しいです。(*- -)ポッ

リンクのところから是非とんでみてください。
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安土馬揃え♪

「信忠公記♪」
京都の馬揃えの前に
安土城下で正月に開かれた馬揃えについて
描いてみました。
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「信長公記」によると「ご爆竹」という行事で、
馬揃えとは呼ばれていません。
馬場で爆竹を爆発させながら、馬で一斉に駆け抜けるのでしょうか。

織田長益さんの序列が、1581年の正月時点では
津田信澄さんより上位なのですが、
いつのまにか入れ替わります。
なにか失敗して降格されたのでしょうか。

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侍魂について 「侍魂」とは

「侍魂」とは なんぞや。

外国の方に日本文化を伝える事が、日本人として
できるかと問われたときに、
「そういえば・・・上手く説明できないかも」

ということで、「侍魂」について考えてみました(ホームページのタイトルに入ってるのにい・汗)。

滋賀大学教授の高橋昌明さんが
「武士とは芸能人である」と語っておられます。
武という芸をもって他との存在を区別するもの達の総称を武士。

時の権力者としては武芸は人を殺傷する危険な芸能であるため、
特定のものに習得を認め自己管理させます。
武芸を許可された一族を「兵の家(つわもののいえ)」と呼びます。

つわものの家系としては、古いとこから
物部→「もののふ(武士)」の代名詞となる一族から
大伴・小野・紀・藤原などから、源氏・平家へ。

12世紀頃では四・五位の下級役人が、
(近衛)衛府・検非違使・北面の武士・滝口(天皇個人の私兵)・
武者所・帯刀・諸国受領・郡郷司・荘官
に配属されて武士化していきます。

もののふ、つわものとでてきましたが「侍」は?

貴人の警護、京中の巡検、「天皇」への雑事奉仕・勅使として
次の座に侍して待つもの、「待」→「侍」となったと。

南北朝の時代に
武芸をなりわいとする軍事貴族「兵ノ家」
以外の武士団が登場してきますが、
楠木正成、赤松円心等の悪党と呼ばれる武士団。

彼らが正当な武士として地位を獲得するため「侍」を目指し、
元もとの武士は、在野の武士との格の違いを強調するため、
自己の血流を正当化するために「侍」という地位が強調されて
「うちは昔から侍やった」という具合に
日本の中で「侍」という言葉が根付いたんじゃないでしょうか(想像)。

そんで「侍魂」。
・・・
中世武士のカリスマ的存在である
源ノ義家さんのような超人的武勇を誇る武者は、
朝廷からは「生ける破魔弓」の効果を
その存在に期待されたといいます。

国の象徴をいかにケガレから守るか、
ということで「侍」の精神的存在があったわけです。

人にマイナスの力を及ぼす、
モノノケ・ケガレ・邪気を払う心こそが「侍魂」
と言える様です。

結論・・・・、ようはプラスな心です!(;´Д`)ゞ

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まけないで

長女さんが学校のキャンプに
クラスで歌う曲に「負けないで」を
推薦して多数決できまったらしいのですが、

なんでこの曲?と友達にささやかれてるのを聞いて
ショックだったとゆうてました。

ん~

よかれとして押したことでも
思いの伝わらない事はあるよ、
です。唄の内容をよくよく知れば
その友達も「あっ、いい曲かも」と
思うこともあるかと思います。きにすんな。

曲の名のとおり「負けないで」です。


とうさんも、積極的に人と付き合ってみたりとか
頑張ったりすることがあったんですが、

頑張りすぎて周りに誤解されたりとかということがあります。

それもまた自分だから・・

人と接することが苦しく感じるけど
逃げることできないから
そこで耐えるしかないというか、
教訓としては・・・
よくわかりません。
今の自分でいるしかない。ひと言をきにすんなでしょうか。
久々に窓の外ではウグイスが鳴いてました。

「鶯(うぐひす)の鳴き散らすらむ春の花
 いつしか君と手折り挿頭(かざ)さむ」(大伴家持)
 
「鶯が鳴いて春の花を散らしている
 いつになったらあなたと一緒に桜の花を手折り
 髪にかざすことができるだろう」

長女さん、応援してますから。

柴田勝家♪

「信忠公記・外伝」
1580年柴田勝家編です。

信長様の双璧の宿老・佐久間信盛の追放劇が
畿内でおきているとき、
もうひとりの宿老・柴田勝家は、秀吉や光秀の活躍を聞いて
加賀に乱入して見事に平定します。

加賀一向一揆の金沢御坊(尾山城)を陥れた頃
のつもりで描いてみました。
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柴田家に続々と有望な武将が育っていってたのになあと
この先に拝郷さんや、
毛受さんが戦没するのは残念に思います。
秀吉も勝家も同じ織田家中なのに、
なぜ味方同士で争うことになったのか・・。

徳山は美濃の土岐の支流だったことに、
今日改めて気がつきました。
柴田与力には不破・原・金森とかいるので、
こないだの三派のほかにも、
美濃侍はけっこう分散してたのですねえ。

柴田勝家60歳、オチはレイのセリフw
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上本町

漫画のことと日記とはやっぱ同じ枠にかかれへん、
という気がしてきたっす。ので別枠に日記。
(一日2回UPするんかww)

今日聴いていたアルバム、
魂のうたの最後に上本町が登場してました。

昔、母は上本町に住んでたらしいです。
俺が母に連れられてお参りいったのは四天王寺かなあ・・・
亀のいっぱいいる池があって、ガメラ!ガメラ!って、
指かじられそうになった気がします。
恐怖を感じたけど(すっぽんみたいなん混ざっておったんちゃうかなあ)。
今どないなってんねんやろう。

今世代の子供達やったらカメックスなんやろか~。

曲には関西弁の登場人物がいたので、
大阪の人こんな汚い言葉しゃべってるの?
とゆわれてましたが。
自分が使ってたのは子供のときだけです。
その人物の愛嬌で汚い言葉も味わいがあるもんですw

北海道にきてから日常会話では、
敬語含みの関西弁というか丁寧語しか今は使わないから
自然に大阪弁でてこなくなって
きているかもしれませんねえ。
23歳から14年の北海道生活、
もうすっかり標準語じゃん!・・・・

北海道は今日も曇りで鈍い三日月でした。
やっぱり七夕は7月7日でしょw

「人の寝る味寐(うまい)は寝ずて愛(は)しきやし
 君が目すらを欲りし嘆かむ。」 (柿本人麻呂)
 
「このごろは色々と思い乱れて
 人並みにも安眠ができず
 いとおしいあなたの寝顔でも
 見ていられたらなあと 嘆じています。」

以前三女さんとバスケの留守番中に
みにいったプラネタリウムはねてしまったので
なゅらる天の川をはよ見たいこの頃です。
星よ、はよでてこ~い。

佐久間信盛♪

『信忠公記』1580年

信長様の怒りを買い、佐久間信盛が追放されます。
折檻状は信長様直筆。
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かってに官位任官した義経達を咎める頼朝みたいに、
勝って兜の尾を締めるというか、
権力者にはこおゆう時期があるんでしょうかねえ・・。
下のものにすれば訳判りません。

山口重政さんは追放された佐久間親子に最後まで従い、
佐久間姓を与えられるそうです。養子なのかな?

柴田勝家さんにおける柴田勝豊さんのような関係?

信長様の認識的には与力は与力なんだろうなあという手紙です。
軍団としても一応認められてるというか。
信長公記を読んでいて、
三河において平手見殺しの前の文章のニュアンスが気になるとこです。

信長の価値観というか、当時の武士の気持ちの
伝わるすっごい重要なものだなあと思います。
これに明智光秀の制定した明智軍法の前段を組み合わせれば、
武篇道というものが、見えてくると信じてますw

おちはワールドカップで監督を降ろされた方の名言で。

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車があああ“(;・・)σ

日曜の朝、ビッグハウスで当て逃げされました(;;)
かなり削られています。
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卵安売りをゲットするために、
朝8:45に行って並んできたのですが。

犯人は隣に駐車しようとした車でしょうか。
(けっこう混んでいて、やな予感はしてたw)

それにしても、ぶつけた人は良心痛めへんのかなあ・・。

子供には正直に謝罪できる人間になりましょうと
教えて行きたいです。

昨日の夜は口惜しさで眠れなくて、
会社で昼休みは熟睡してしまいました。

でも、いいこともあるもんです。
「七夕」に、ずっと探してたものをみつけました。
ツタヤで魂とばんくばんどアルバムの1枚目を発見!!やたっ。
 
「牽牛(ひこぼし)の嬬(つま)迎へ船漕ぎ出(づ)らし
 天の川原(かはら)に霧の立てるは。」(山上憶良)
 
「彦星が乙姫を迎える船を漕ぎ出したらしい。
 天ノ川の淵辺に霧が立っているのは
 そのせいなのだろう」

残念ながら、北海道は曇り空です。

池田孫次郎♪

『信忠公記』
摂津の国1580年くらいです。

六角佐々木氏の重臣・池田景雄が信長様に臣従して、
柴田勝家与力となり、柴田の越前転封には従わず、佐久間信盛の
与力となって本願寺の付け城在番として長く滞在。
本願寺と長く対陣したのに佐久間に恩賞がないということで、
佐久間軍団は与力衆が酷使され苦労するのが有名なので、
このネタで描いてみました。
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「信長公記」に登場する孫次郎に該当する人物は、
池田景雄があてられています。
が、柴田勝家・山岡景隆と同じく1520年代出生年の人物なので
実際戦場では息子の池田秀氏(高祐)が
主力として働いていたんじゃないのかなあ・・・(想像)

オチはガソダム種のあすらんゼリフでw

カテゴリーのところで4コマ漫画を、
年代順に並べなおしましたので、よければ御照覧ください。
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庭仕事するにも

札幌最低気温20度というだけあって
あっつい(;>0<)。
(といっても大阪ほどではありませんが)
写真の貼付テストさせてください。
うちの庭の花々です。(元画像:1280px 960pxサイズ 583KB)

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今はジャガイモの花が盛り。(120px 90pxサイズ 4.23KB)

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この時期に咲く宿年草。(150px 112pxサイズ 5.66KB)

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この花も宿年草です。(200px 150pxサイズ 10.88KB)

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ちっこい花をつける草。雑草なのか判断つかず残してます。
(250px 187pxサイズ 16.71KB)

「大坂」石山

『信忠公記』
1580年石山本願寺との和睦が締結され、
顕如の長男・教如が退去して
矢部家貞(康信)が検査官として立ち合います。
その後、織田家の一門衆の第五位・
津田信澄が城主として石山に駐留し、
大阪の司令官と呼ばれます。
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荒木村重の跡の伊丹城に最初に在番したのも津田信澄。
信長様に実績を買われての抜擢だったのでしょう。
矢部さんの「康」の字は三好康長、
「信」の字は信長様つながりだったりするんかなあ・・。

それにしても、摂津方面に織田家一門色が強くなってきますねえ。
池田恒興は信長様の乳兄弟やし、
津田信澄は弟・信行(信勝)の息子、
塩川長満は信忠の妻の父、
中川清秀の息子・秀政は信長様の娘婿となって、
羽柴秀吉の養子に信長様の息子・秀勝、
三好康長の養子に同じく信孝。
紀州の保田には佐久間安政が養子に。
着実に血縁関係で地盤を固めていってます。さすが。

惟任(明智)光秀は濃姫様つながりでゆけば
外戚というかんじの立場なのでしょうか。
美濃衆は、信長様直轄の美濃三人衆、
信忠の支配する美濃の信忠馬廻衆、
美濃の騒乱で領地を失くした美濃浪人の
受け皿としての惟任光秀家臣団の三分割支配
があったのかなあ(妄想たのすぃ~)。

織田家の領内に他の大名からの侵行を許したことがないのが、
信長様家督相続からのプライドというかこだわりの様です。
徳川領は武田信玄に蹂躙されましたけど・・(まだ織田領ではないということで)。

生駒山、信貴山、高安山って感じかなあ。
河内平野恋しい、
セリフはガソダム種Dの最終回オチw

「君があたり 見つつも居らむ生駒山(いこまやま)
 雲なたなびき 雨は降るとも。」(作者不明)

「 貴方がいらっしゃる生駒山のあたりを見ていましょう。
 雲よ山にかからないで たとえ雨が降ろうとも」

4コマ漫画をカテゴリーのところで年代順に並べなおしました。
(最近キャラのデフォルメを忘れてしまってる。汗)

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摂津守護・池田恒興

『信忠公記♪』つづき~
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池田恒興さんが荒木村重の跡職に就任したとこです。
信忠の補佐役として対武田の備えとして東美濃にいたのが、
1575年頃から畿内方面に出動が多くなった信忠に従って
信忠軍団の中核として活動していたのかなあ~と思ってます。

東美濃は、黒幌・川尻秀隆さんを中心に、若手の森長可さんとか
斉藤長龍がいたのかなあと。

信長直属の遊撃軍団の軍団長としてではなく、
信忠軍団の畿内代表として、摂津にあってもおかしくなかったのかなあ・・。
とも思います。
長男・元助(之助)が、信長直属となったのかもですねえ。

で、今日の出来事はというと。
昔のMDをひっぱりだしてきて
グレイの唄に、なんか味があるなあと思った日でした。

「夏の ~」というでだしの曲です。
メロディ浮かぶのに歌詞が・・・w

そういえば上野国とでてくるのに、
現代の県名がおもいだせませんでした。(おいっ)

「上毛野(かみつけの)
 安蘇(あそ)の真麻群(まそむら)かき抱き
 寝れど飽かぬを 何(あ)どか吾(あ)がせむ。」(作者不明)
 
「上毛野の(上野の国の)
 安蘇の麻の群生を腕一杯にかかえるように
 この娘をしっかり抱きしめていても
 まだ満足できない。
 いったい私はどうしたらいいのだろう」

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漫画・信忠記

気分で久々に漫画かいてみました。
会社で相棒と瀬戸内海の島々の海賊や、
毛利水軍のことを話してて、
源平時代モードから、信長様に
なんだか想いが再び向かってきましたw

『信忠公記♪』
1580年別所を討伐したあとの国割りです。
摂津守護・荒木村重の跡は一時・津田信澄あずかりだったみたいで、
東播磨の別所を倒してから、正式に城主が決められました。
久々に大軍団長の重臣そろい踏みで、
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信澄さんを一喝する惟住(丹羽)長秀さんの言葉に
ガソダムゼリフが・・・。

バンブーコミックのセットで描くより、
やっぱ俺はアナログなんかなあ・・。
手の方が早いし、色つけたりトーンしてるのがだりぃ・・。

グラフィック扱う人や、
漫画家のプロの方は忍耐力あるなあ~と思います。
尊敬する。

俺は素人だぜぇい!!で胸張ってアナログ4コマを
描いてるほうがええのんかのう~?
次回の4コマに信忠さん登場です!!

「よ~~~~ん!!(;´Д`)」といえば、
会社の窓の外で カラスが4羽しゃべってるみたいに鳴いてました。

「ほととぎす 鳴きつる方をながむれば
 ただ有明の月ぞ残れる。」(藤原実定)

「ほととぎすが一声鳴いたほうをみれば
 その姿は見えなかったが
 有明の月が、暁の空に入り残っている」

藤原実定さんは源ノ頼朝と同時代の人です。
この頃の貴族は、藤原道長の時代の様に
心から我が世の春の
雅を味わってはいないのだろうなあと思います。

夕方の空には自衛隊のヘリが2機とんでました。
現代じんも雅に浸る暇なし。
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7月かあ

37歳になって、自分を振り返ってみて
遣り残したことってなんやろうと
考えてたのですが。

一番やってみたかったのがギターの弾き語りw

友人にもらったギターで
何回か挑戦してみたのですが
コードを思い出しながら、唄うって
作業がどうにも両立できなくて
いつも挫折してました。

軽音に入って4年の間に、初心者の人も
なんだかんだと上達してったのになあ。

俺は結局4年間ずっとボーカルだけでした(;--)。

1年生から先輩のバンドに雇われて
緊張感の中で音あわせで、
家では洋楽の歌詞覚えてとかだけで
けっこう必死w

唄は軽音の中じゃ誰にも負けないって
思ってましたけど、俺の出せない音域の人が
やっぱプロで食べていける人なんでしょうねえ。

ということで、次女さんがギター弾きたいと
言い出したので、俺も3度目の正直で
一緒に練習しようかなあと思ったりしてます。
つづけられるかなあ。

なんか最近、自分自身やることが多すぎて
あっぷあっぷなんじゃないかとも
思えてきたんですが、これくらいの趣味多いほうが、
余計なこと考えないかなあと。

で、「天下侍魂」に源氏の頼朝周辺の系図も
貼り付けてみました。

ということで、
清和源氏の36歌仙、源ノ重之さんの詩。

「風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
 くだけて物を 思ふころかな。」 (源ノ重之)

「風が激しくて
 岩に打ち寄せる波のように
 私ばかりが あなたのことを心配し
 砕け散るように心を乱している
 この頃であることよ」

長女さんが13日に札幌○りおで
ピアノ演奏するそうです。
心配だあああ(+>△<)
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