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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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市橋長利♪

『のぶただ公記♪』

美濃衆の重鎮、市橋長利さんの登場です。
岐阜城でどういう生活してたのかなあ~
とか考えて描いてみました(妄想)。

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(次回に、つづく)
よんコマですけどオチがないw。

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神戸信孝♪

『のぶただ公記♪』

信忠さんの弟、
神戸信孝さんの登場です。
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1568年に北伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、
伊勢長島一向一揆討伐の頃から部隊長として活躍し
「雑賀攻略」の頃から信忠軍団に従軍しているようです。

所領は5万石程といわれてますから
それほどボンビーでもなさそうですが、
信忠さん、信雄さんとの格の違いというのは
軍事指揮権が与えられていないということでしょうか。

信長様の方針で下積みをせいと
ゆうことが、フロイスさんの記録にも
書かれているようですから、そうゆうことが
世間で周知されていたのでしょう。
歴々の侍大将の中で、かなり揉まれたのかなあ(妄想)。

信孝さんについては、リンクHP「天下侍魂」
丹羽長秀、神戸信孝の家臣団のページをご照覧ください。

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長野信包♪

『のぶただ公記♪』外伝。

伊勢がつづいてるので、
北伊勢の長野家に養子に入った
信長の弟、信包さんについて
描いてみようと思いました。

んで信包さんの仲間といえば
犬つながりかなっと、
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秀吉の世に、出家して老犬斎。
(哀愁の感じる名のりです)
なので若いうちは勇ましく狼犬斎で(フィクションですw)

織田家の一門衆では、信忠、信雄につづいて三番目の地位。
四番五番の信孝・信澄よりも格上として、
信長様にもちいられてたそな。

信長様と母が一緒なのか、忠誠心厚く、役に立つ弟だったのか。
信雄さんを補助する役割を与えられていたようですから、
将来的には紀州とかに出陣するのでしょうか。
数ある兄弟の中から信長様に一番見込まれた弟、将来の
天下での役割をみてみたかったです。

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北畠信雄♪

『のぶただ公記♪』

旧国主の居城、大河内城から
1575年に移転した
北畠信雄さんの新しい本拠地、
伊勢田丸城です!
一緒に育った兄弟ですから、
1580年に本丸が焼失するまでに一度くらい
信忠さんが訪れているかなと思って
描いてみました。
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田丸城だけに、
「たまるか」
・・・
たまるかは
あの人の口癖ですw

1580年以降は
信雄さんは松ヶ島城に拠点を移します。
今度の城は瓦葺のようです。

描いてて疑問に思ったことは、
天主といっていいのは安土の
信長様がいるとこだけで、
他の城は天守なんでしょうかねえ。

北畠信雄さんに興味のあるかたは、
「天下侍魂、瀧川一益、北畠信雄の家臣団のページを、御照覧ください!」
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団忠正♪

『のぶただ公記♪』

1579年、荒木村重攻囲の陣中にて。
取次ぎ役は団忠正さんです。

北畠信雄の独断での伊賀出兵を
聞いて、
で描いてみました。
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今日はシンプルにw

団忠正さんに興味のあるかたは、
「天下侍魂、織田信忠の家臣団を、御照覧ください!」
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武田松姫♪

『のぶただ公記♪』

やっと武田松姫登場です。
1567年に婚約し、
信忠さんが1555年生まれとすれば、
婚約当時13歳、
松姫が7歳ということになります。

それから文通や贈り物を続ける間柄。
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織田と武田両家の関係が険悪化していって
縁談はのびにのびて行きます。

信忠さんが1582年に
武田攻略の総大将になるとは。。。

松姫さんは北条氏に逃れて
北条家の方で、信忠さんに送り届ける
手筈までととのっていたといいますが
本能寺。

松姫さんは「信忠さんの妻です。」
という感じで一生独身だったらしいです。
ロミヲとジュリエットが1590年頃
イギリスで発表されたらしいですが、
それをぢで行く信忠さんはただものじゃないですね。

誰か映画化してくださいw

「御旗、盾無、御照覧あれ!」
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金森兄弟♪

『のぶただ公記♪』

軍師・竹中重治(重虎)さんに
相談していた手紙の相手は
武田家の姫様です。

父親同士の政略婚ではあるのですが、
当事者同士はその縁で10代前半から
ずーっと文通していた仲らしいのです。

対面してたらと思って、
その続編を描いてみました。
服の相談をしてるのは
身の回りの事なので、信忠さん御小姓衆ですw
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武田家の話につながってきますので、
「御旗、盾無、御照覧あれ!」すっきり。
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佐々成政♪

『のぶただ公記♪』外伝。

今日のんは完全フィクションですw
最近セリフが長いので、
なんもかんがえんといけるやつ
で描いてみました。
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佐々成政さんの鉄砲衆が
もし「手取川(加賀湊川)の合戦」の敗走の中で
上杉家に一矢報いてたらと
思って描いてみました(ガソダム00のオマージュです)。

救援するはずだった七尾城の落城の報せと
秀吉軍の戦線離脱などで士気も低下してるなかで
柴田軍団の与力さんたちはどのように
動いたのかなあ。

柿崎さんは死に方が不自然なので
こうゆう戦死もありかなっと(妄想)
でオチにさせていただきました
(映画マクロスのバルキリー墜落)
「かきざきいいいい!」(>△<)
のセリフが頭から離れなかったので。
佐々成政さんについては
リンク先の「天下侍魂(自分のHP)」
親衛隊・黒幌衆の項に事績をかいてますので
興味のあるかたは見て下さい(^^)。
上杉謙信の家臣団も力そそいでますw
「御旗、盾無、御照覧あれ!」あれ??
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福富秀勝♪

『のぶただ公記♪』

突然おもいたったので描いてみました。
このての奉行はすべて
信長様馬廻衆の隊長、福富秀勝さんに
おしつけますw
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信長様の周辺は、
茶せん、鍋の方、坊、人、縁、長など
ハイセンスな名前が一杯なので。

フロイスさんは1563年に九州に上陸、
1565年に京都に上洛、1569年に信長様と出会い
1576年九州布教に戻り、
1581年にまた一時上洛しはったみたいです。

福富秀勝さんについては
リンク先の「天下侍魂(自分のHP)」
親衛隊・赤幌衆の項に事績をかいてますので
興味のあるかたは見て下さい(^^)
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竹中重虎♪

『のぶただ公記♪』

1577年、松永久秀征伐後の
信忠さん、美濃衆・安藤守就さん
竹中半兵衛さんの登場です。

中国出陣を控える、羽柴軍という感じで、
信忠さんが軍師に何か相談してるとこで
描いてみました(妄想~)。
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竹中半兵衛さんは(病死しはるので)、
青びょうたんのイメージが強いんですが、
名乗りが、重虎とか
肖像画とか、どうも勇ましい武者の印象が。
よくわからない人ですw。

リンク先の「天下侍魂(自分のHP)」に事績をかいてますので
興味のあるかたは見て下さい(^^)
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侍魂♪

自分の趣味で作りました、
「天下侍魂」のホームページを
更新していってます。

今のところ守備範囲は源平の頃から、
安土桃山時代まで。

歴史に登場する人物について、
とくに侍について深く知りたいなあと
思って記しました。

昔っから、このての本が好きで、一番
吉川英治さんの歴史小説が好きです。
司馬遼太郎さんも。
山岡荘八さんや、津本陽さんも。
(基本的に信長様が登場しますw)

あいにく自分には文才がありませんから、
自分のできる範囲で、人物の生き様を
追っていけたらなあと思います。

これから小説を書こうとか、
小説にでてくる歴史上の人物の個人の履歴とか
ちらっとこのHP見て確認してもらえるようになったら
ええなあ~と(^^)。

織田家の家臣団関係のページは自信作でっす。
どうぞ御照覧ください。

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織田信忠♪

『のぶただ公記♪』1575年。

織田軍の、
「長篠の合戦」の大勝利のあとに
直面した問題はなんやったんかなあ~
と想像して描いてみました。
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合戦ものだと緊張感がでるんですけど、
それと違って、絵がラフになってしまいますw

おちは千宗易(のちの千利休)さんの名前にかけてみました。
実際に信長様のところへ千発の鉄砲玉を贈ったりしてるようです。

利休さんとこは武器商人だったんですねえ。
そのわりに玉数すくない・・・
千と千でかけてるのかなあ。

ついでに普通の鉄砲玉もらっても
おもしろくないかと思って、
玉込めを省略できる薬きょう式のような
火薬一体型の鉄砲玉なら、めずらし物好きな
信長様なら喜んだのかなあto・・

きれもの千宗易さんなら
それくらいのことしたかなっと思い
描いてみました(妄想)。

記録には残ってませんが、
跡継ぎの信忠さんにも、きっと「そでのした」
を渡してるかな~とも考えてみました(笑)。
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あね川合戦の事♪

『のぶただ公記♪』外伝。

五番隊 森可成、
六番隊 佐久間信盛、
本陣  信長様旗本衆。
という感じでしょうか。
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下絵を描いてかな~り日がたつのですが、
信長様を何度も描いてるうちに
かなり濃くなってしまいました(苦労のあとw)。

なかなか納得いくもの描けなくて・・。
こういうのんは勢いでUPしていかんと
いつまでも更新できないですね。

「姉川の合戦」は、明朝の遭遇戦ではじまったといいます。
坂井隊は備えも万全でない状況で、磯野員昌と出合って
しまったわけです。

1・2・3番隊まで崩れ、4番柴田隊も危うかったと。
装備の点では、
実は信長様の旗本が一番破壊力
あったんじゃないでしょうか。

ローマ軍とカルタゴのハンニバルの戦い方で、
両翼に一度散開して、後で敵を押し包む
包囲殲滅の戦い方がありますが、織田軍も前半の
不利な状況は、きっと
その作戦のためだったんじゃ?(おれナイスアイデアw)

あくまで織田軍の敗北は認めません!!

というか坂井さんがおくれをとったなんて公記に書いてないし。
大失態とかいわれてますが、
原田や別喜、佐久間さんのように直後に追放されてません。
「死人にくちなし」というか早く戦死しちゃったから
引き立て役にまわされてしまってないでしょうか?

久蔵さんも特別な活躍がなかったら歴史的にスルーされて
いるような気もするんですけど。
当時の地元では英雄だったんじゃないでしょうか。

徳川300年の中で何かが変わってしまったに違いない・・・妄想。
(by 坂井さんの名誉を回復する会)
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柴田勝家♪

『のぶただ公記♪』外伝

坂井越中守の実名はなんというう~
の続きです。越中守の
お父さんの活躍した「姉川の合戦」!

一番隊 坂井政尚。
二番隊 池田恒興。
三番隊 木下秀吉。
四番隊 柴田勝家です。
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柴田勝家の甲冑は、肖像画では古風な武士
という感じが多いですが、
1568年に上洛を果たした
最新鋭、織田軍の闘将ですから
ここは一発、南蛮風当世具足で!!

「姉川の合戦」関係の本を読んでいると、
徳川家康の加勢に丹羽長秀と稲葉一鉄がいたとか
(徳川軍だけで朝倉に対峙していないのが真相?)、

横山城を囲んでるはずの三人衆の中で、
稲葉隊だけ徳川家康の加勢にいたとか、
(徳川軍の奮戦により、稲葉の横槍が可能となったとか)

いろいろなパターンがみられます。

なんかあやしい・・・

結局、天下人の徳川家康の時代に
都合のよいように(徳川のおかげで織田が勝利したと)
全部 書き換えられてんじゃないですか。。

「長篠の合戦」にしてもそう、信長様が
別働隊の酒井隊に鉄砲を貸しているということは、
徳川勢の鉄砲が装備が貧弱すぎて
お話しにならないからなのではないですか?

大久保兄弟の活躍も信長本陣から
そう遠くないとこだし(信長様の有視界)

家康さんじゃなくて信長様にアピール
してるとこも笑えますw

白兵戦してるということは、
鉄砲掃射後の掃討戦にしか
徳川軍は活躍してないのと
違いますか。

屏風絵では前線に徳川隊が描かれていますが、
佐久間隊の鉄砲衆がほんとは前列なんじゃ?

「すべてが家康さんに都合がよすぎです。」

三千丁というのも、ほんとかどうか。
「すくなすぎです!!」

信長様が斉藤道三と会見したときの鉄砲の数から
(1553年に500丁)
もう、数十年すぎてるのに
畿内に進出した織田勢の鉄砲数が
それっぽっちしか増えてないというのが
(1575年に3000丁?)

逆に謎です。。。

なりふりかまわず、筒井や細川から
鉄砲をあつめたのですから、
万はなくても、数千丁だと思います。

定説っていうのが真実なのか
常識として信じてしまいそうな部分
恐ろしいことだと思います。
(俺は妄想しすぎですかw 信長様よいしょだ!)
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三好信孝♪

『のぶただ公記♪』

今が絶頂、信孝さんです。
織田家の嫡男、信忠さんが1555年または57年生まれ、
次男(信忠と同母)、信雄さんが1558年生まれ。
三男(庶流の為)、信孝さんは1557年生まれです。

運命の1582年。
5月に信孝さんが四国平定の命を受け摂津住吉で軍を編成、
同じ頃に堀秀政さんは中国の毛利征伐の先遣隊として派遣されます。
もし、秀吉のもとに養子に行った羽柴秀勝さんが、
武田征伐の祝勝会とかで上京していて
兄弟の最後の顔合わせとかがあったらなあ~
と思って描いてみました。

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宣教師さんの記録では
信長様の意向でこのような扱いをうけており、
(信孝さんには雑草魂を身に付けて
もらいたかったのだろうということでしょうか・・)
キリスト教の理解者であった信孝さんは、
礼儀正しき良き若者として受け止められています。

それに対して、反キリスト的な信澄さんは
ボロクソに書かれているとか。

この二人を組み合わせた四国平定軍
先行き大丈夫だったのかw
本能寺がなかったらなああああああ(妄想)
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