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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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久々に源氏をUP

本業が忙しくてHPを
こねくりまわす意欲が
しばらく、ありませんですた。。

しかし、じおろぐ日記は
日々更新中w
なんだか、はけ口状態かな(ぇw

今日は源氏のTOPページに挑みました。
織田信長は好みから必然的に更新率が高く、
鎌倉・室町はまだまだ
全然内容が充実していません。

継続は力なりです。
とにかく続けよう。

斬新なものにしたいのですが
具現する実力が不足しているなあ。
勉強勉強~☆

司馬遷は牢獄に閉じ込められた怒りのパワー
高坂弾忠は武田が滅んだ怒りのパワー
太田牛一は信長が死んだ怒りのパワーで
史実を書き続けたのでしょうか、

基本、文章書くことが好きなのかな。
好きなことがやっぱ大切なのでしょう。
自分もリキマズ頑張りまっす。



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毛利元就の家臣団

odano608.jpg

を、武田信玄をみながら
追加していましたw。
毛利家の養子縁組政策は
なかなか凄まじいものがあります。
乗っ取られる側も、
家臣団がそれを望んでいるというか
将来的安定を見込んで申し込んでいるので
養子にだす、元就のほうが
ちゃんと待遇してくれるのかって
要求して態度「ちょーLサイズ」
なのが少し驚きでした。

織田家も北畠、長野、神戸といった
伊勢の名族をどんどん
のっとってるんですけど、違うパターン
の養子縁組があって、

羽柴秀吉の実子がなくなったときに
信長が自分の子供を
秀吉に養子にだすのです。
家臣のところに養子にだすって
異例中の異例だとおもいます。

秀吉の落胆を、おもいやってか
信長にも温かいとこが
あるんだなあという話です。
こういう一面をみると、
すごく優しい人のような気がします。
織田信長は奥が深い人です。

織田家の奉行衆を

追加しました
二印法印・式部卿法印・宮内卿法印
という信長の秘書さん達です。

各軍団長や
家臣団には命令書。
諸国の戦国大名には
外交文書を発行する人達です。

支配領域や部下が増えるほどに
文書作りも増えて
激務となっていったことでしょう。

でも天下を動かしているのですから
やりがいはあった事でしょう。
中心にいるという充実感?

機密を知っているだけに
信長と反目することがあれば
死と隣り合わせでもあるでしょうけど。

だから奉行さんたちの
消息がいきなり消える事
多いみたいです。
生没年が本当にわからない。

ストレスのはけ口は
一杯のお茶だったのでしょうか。
堺や京の商人や、公家さん達との
茶会が、休日の癒しだったのでしょうかね。
あ 休日ないか・・。

あと同朋衆(身の回りの世話人)として
一雲斎針阿弥という人がいるのですが
この人は本能寺で、信長と運命を共に
するみたいです。

本当に信長の一番傍にいた人物では
ないでしょうか。つーかーの仲w
この人達が日記つけて残ってたら
また一味違う信長の人物像が
書かれていた事でしょうね。

ページとページのリンクに

頭を悩ませてます。

解説をつけだすと、行がどんどん長く
長くなってくので
そのページの中でTOPに戻れた方が良いかなあ
とか。

HPって難しいですね。

俺は文章は二段組で
短いほうが好きです。

いわゆる~長文苦手。
脳内の言語機能が箇条書き回路
というか、日頃の言動がこうなので(笑。

もっと新しい
斬新な歴史ものにしたいなあ。
誰もやったことない
感じに。

俺に降臨してください!信長たますぃ~ヽ(`д´)ノ
(あくまで他力本願で㌃)

源ノ義忠さんて

源ノ義家の四男なのですが

嫡男、早世
次男、国家反逆
三男、行い不良
のため、四男ながら家督を継いだらしいです。

でも、一族の義光の放った
刺客に暗殺されてしまいます。

で養子の為義が跡を継ぐのですが。

為義の父親の義親が、いったい弟・義忠と
何歳年齢が離れていたのやら…。

義家の次男ですが何年生まれかが
これまた謎なのです。

義家の人気が高まって
警戒した公家さん達に
源氏は徹底的に叩かれて
悪役の汚名を被せられて
記録からも抹殺されているでしょうか。

出る杭は打たれるというか
宮廷は恐ろしいところだとおもいました。
伏魔殿って言葉考えた人えらいっ!!

鎌倉時代の奥羽を

北条家の直接支配地と
なってるのですが
安藤家とか、在地の武士団が
みえない形で育ってるみたいです。

日本海側で、
東北のかなり北の安藤家と
九州の松浦党の先祖が
同じ奥州の俘囚の長・安倍氏だったり
するところが神秘的というか

エミシとクマソで
確かに日本列島の
元民が縁辺に追いやられて
先祖つながりなのかも
ですし。

中世に南北の港どうしで
交流があり
婚姻関係があったのかも
しれないですね。

倭寇とか、信じられないくらいの行動力で
むかしの漁師さん、あなどれません。
何にも縛られない、一所懸命のこだわりがない
自由人やったかもですね。

奥州安倍・清原・藤原氏を追加

奥州の人々は、藤原氏が仏教を
持ち込むまでは、アラハバキの神様を
奉っていたようです。たぶん・・

宗教が違うというのは、
どんな感じだったのでしょう。

東国の武士団にとって
宗教はどれくらい重要な事であったのだろうと
なんとなく、そんなことを思い浮かべながら
更新していました。

安倍軍の前に
八幡大菩薩の旗を押し立てて
源氏軍が現れた時は
安倍側からすれば異様な集団だっただろうなあ。

源氏といえば鎌倉なんですが。
さらに元をたどれば河内国石川なのが
ワラカセマス。俺の出身地やんかw

関西に生まれたからには
石清水八幡宮のある
男山にもいかんとと思い、ロープウェーで
のぼったことがあります。

義家が元服したとこ。
それ以外の知識がなかったので
この傍で、光秀と秀吉の
「山崎の合戦」があったんかあ~
と、次の瞬間には違うこと考えていた
のを思い出しました(ぇ。

根っから戦国好きなのか俺w

地味に源氏を追加しました

侍魂のHPを書いている時、
源ノ義経や、後醍醐天皇の
項があると、昔みた吉野での
いろんな物、景色が脳裏をよぎります。

苔むした義経の庵。

護良親王とその部下の逸話(蔵王堂の話)。

ちっさいときに
身近に悲劇の英雄達を感じてしまっているので
判官贔屓というか
頼朝や、坂東武者を
ど~も、めちゃくちゃ好きっと
なれない心境です。

関西人って一般的にそうなんだろか?
素朴な疑問w。

わびさびというか
吉野は歴史をとても感じさせる場所です。
さくら満開の季節に、また吉野に行きたいなあ。
好きな場所のひとつです。

原田直政と佐久間信盛

の家臣団をちょっとだけカキコしました。

石山本願寺に10年間むきあった織田軍の旗頭です。

原田直政は戦死し、佐久間信盛は
国境のない本願寺軍団と泥沼の戦いを続けたのですが

途中で松永久秀が離反したり、
荒木村重、別所長治が離反したり
度々のピンチを迎えますが、
なんとか切り抜けて
本願寺を抑えきった佐久間信盛。
実は凄いと思います。

油断をみせれば容赦なく襲いくる相手なのですから。
よくぞ大敗退することなく戦線を維持したと
思えるのですが、それでは満足できないのが
織田信長様なのです。
敵を薙ぎ倒す果敢さがないと
無策と判断されるのでしょうね。

信忠軍団には、信盛息子の信栄が
一度は追放されながら
再雇用されていることから
再チャレンジのチャンスは
信長は与える器量も有しているのでしょう。
だから家臣は信長を恐れつつも
ついてきたのだと思います。

「天下取りの緊張感」
瀧川一益曰く、「鶴の身持ちと同じ」
(目立ちすぎるので周囲に気を配る鶴と同じ)
重い言葉です。
俺はお腹こわしますね~確実に

ストレスでw


源ノ義親って

源氏の嫡流の
八幡太郎・義家の嫡男なんです。

それがなんで対馬にいって
その後
朝廷から追討されるような
ことになるんでしょうか。

当時、ちょうど中国や、朝鮮の政情が不安で
義親は何かしらの使命を帯びて
彼の地に派遣されていたのではないでしょうか。

本当に義親がただの乱暴もので「悪」なのか

国と国、政治の狭間で悪にされた
被害者ではないのでしょうか。

彼は彼なりの正当な理由があっての
海賊行為だったのかもしれません。
東に覇を唱えた父と
西に覇を唱えた息子と
源氏二代でなにを成そうとしていたのか
掘り下げてみると
楽しい発見があるかもですね~。
そのうち調べてみよ・・・いつか(ボソ。

鎌倉時代の守護を

ひそかに書き連ねていってます。
これから、{承久の乱}に
関連した人とか、
その地方、地域で
自治的な権力をもった
外様大名を
探求していこうと
思ってます。

鎌倉時代のイメージは
貴族がまだ対等に近い力を持ってたりする感じです。
地方では国司と、守護・地頭が削りあいをしているような。

元寇で、戦い方が大きく様変わりして(集団戦)、

建武や室町初期には、守護が地力をつけるなか
貴族の人たちは呪術や、戦力より権威による対抗手段を
もって武士に対しているような気がします。

奈良の吉野に小学生の頃いって
後醍醐天皇や護良親王のことを
しったのですが、
妖魔が信じられている不思議な時代
妖しい魅力というか
もっと深く、その頃の歴史を知りたいと
大人になってもおもふ今日この頃です。

信長側近と、柴田・瀧川を少々追加

柴田勝家と瀧川一益

織田家中きってのぶへん者です。
勝家は、名が「権六」っていうだけあって
もっさーいガキ大将って印象です。
じゃいあん みたいな。

タッキーは元忍者だけあって
敏捷なイメージかなあ
(ジャ○ーズっぽい名詞連発w)
一益さん、男前なんやろか。

戦国のことばっかり
HPに書いてしまいます。
(この手がっ この手があ 勝手にぃ)

他の時代が薄い~
やっぱ戦国時代が好きなんかな
まあ、表紙に信長特集ってしてるから
まいっかw
いつまで特集なんだろう・・・(謎ッ。

人間五十年~♪

人間五十年

下天のうちにくらぶれば

夢 まぼろし のごとくなり

ひとたび生を得て 滅せぬものの あるべきか。(幸若舞)


死のふは一定

しのび草には何をしょぞ

一定かたりおこすよの

この世は夢ぞ ただ狂へ。(小唄)

 信長の好きな当時の2曲です。
人生の儚さ、夢、幻、狂気。
命の完全燃焼と、 無。

 がテーマかな?

信長の筋金入りの精神とセンスに
しびれます。

当時の武将も、信長の生き方を
「さむらいたましい」をきっと尊敬してたと
思います。

 かくありたい と。

俺も かくありたいです。 頑張らなきゃ

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