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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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赤橋守時

nixtuta956.jpg

今日の気分で、鎌倉時代の幕末の英雄、

16代執権<1327~1333> 赤橋守時(1295~1333).



得宗の分家筋。最後の執権となる。

実権は北条高時と、執事・長崎高資が掌握していた。

1333年妹婿の足利高氏が反逆し、

鎌倉を攻撃する新田義貞軍に対して、

巨福呂坂で激闘し自害。39歳で没。


のつもりで描きました。

名誉職とはいえ、最後の執権です。

足利尊氏の嫁だった

妹の登子さんが無事に脱出できたのも、

彼が 北条高時や長崎円喜を

うまく気をそらしたのだろうな~と

ついつい想像してしまいます。

実際 どうだったのかなあ~。

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北条泰時

nixtuta952.jpg

今日の気分で鎌倉時代、

鎌倉幕府第三代執権「北条泰時」さんのつもりです。

最初の名称は北条頼時。

江間頼時 (1183~1242)北条泰時・太郎・相模太郎・武蔵守・駿河守・左京権大夫・修理亮。☆「得宗3代」。六波羅探題職<北・1221~1224>。北条義時の嫡男。母は阿波ノ局。三浦義村の娘婿。のち安保実員の娘婿。1212年「和田の乱」に将軍御所守備。戦功により陸奥遠田郡地頭。1221年「承久の乱」上洛軍。六波羅探題北方奉行。1334年北条経時の元服式に列席。娘婿に三浦泰村、足利義氏、北条朝直、池頼清。息に時氏、時実、公義。60歳で没。

(天下侍魂より)

六波羅探題職を勤めてる最中に、

父が死没してしまい、鎌倉にいない間に

弟が執権職に擁立されてしまいそうな状況となり、

足利義氏と合流して、迅速に鎌倉を

軍事的に制圧するという、

なかなか危機的な家督継承をしています。

自分的には、

鎌倉幕府は三代目ががっしり基礎固めをして、

あとの何世代が惰性で北条氏が続いたような

印象をもってます。

というわけで、「天下侍魂」は

鎌倉時代を重点的に、南北朝初頭を更新中です。


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鎌倉時代の奥羽を

北条家の直接支配地と
なってるのですが
安藤家とか、在地の武士団が
みえない形で育ってるみたいです。

日本海側で、
東北のかなり北の安藤家と
九州の松浦党の先祖が
同じ奥州の俘囚の長・安倍氏だったり
するところが神秘的というか

エミシとクマソで
確かに日本列島の
元民が縁辺に追いやられて
先祖つながりなのかも
ですし。

中世に南北の港どうしで
交流があり
婚姻関係があったのかも
しれないですね。

倭寇とか、信じられないくらいの行動力で
むかしの漁師さん、あなどれません。
何にも縛られない、一所懸命のこだわりがない
自由人やったかもですね。

鎌倉時代の守護を

ひそかに書き連ねていってます。
これから、{承久の乱}に
関連した人とか、
その地方、地域で
自治的な権力をもった
外様大名を
探求していこうと
思ってます。

鎌倉時代のイメージは
貴族がまだ対等に近い力を持ってたりする感じです。
地方では国司と、守護・地頭が削りあいをしているような。

元寇で、戦い方が大きく様変わりして(集団戦)、

建武や室町初期には、守護が地力をつけるなか
貴族の人たちは呪術や、戦力より権威による対抗手段を
もって武士に対しているような気がします。

奈良の吉野に小学生の頃いって
後醍醐天皇や護良親王のことを
しったのですが、
妖魔が信じられている不思議な時代
妖しい魅力というか
もっと深く、その頃の歴史を知りたいと
大人になってもおもふ今日この頃です。

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