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登美ノ勝也

Author:登美ノ勝也
武将について語りたくて「天下侍魂」というHPをつくりました。織田信長の家臣団とその六大軍団長たちの家臣団、戦国・室町・鎌倉の大名達とその家臣団について探求していきたいと思います。
リンク先のHP「天下侍魂」ぜひ御笑覧くださいw


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平安末期奥州清原系城柵のまとめ

kiyoharasaku01.jpg

広範囲に清原氏の領域をみたものです。
城柵の分布から雄物川流域の流通を抑えて、飽田を支配していたのではないでしょうか。
東北の蝦夷の民を支配するには、山の神への信仰も大事でしたでしょうし、漁労活動の支配や、治水等の水利事業を通しての、調整役としての清原家の存在感というのもあったのではないでしょうか。

天智天皇の子孫が、出羽に逃れていたという天智系の伝説も気になりますし、
天武・持統天皇の制定した中での皇族に与えられる「真人」という官位を与えられている氏族というのも気になります。

清原真人。

奥州でも特別な貴種として、俘囚長の安部氏とも一際違う存在感でもあったのかも。

kiyoharasaku02.jpg

更に拡大したもの。下流域の大台滝ノ柵の存在からして、日本海にも進出していた事は確実かと思われます。
周辺の由利氏や河田氏、大河氏とも婚姻関係を通じて縁を結んでいたのではないのでしょうか。


次は奥州藤原氏系に進むか、遡って安部氏系に進むか、どちらにしましょう。


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細川京兆家の分裂。上屋形・下屋形。

hosokawakyoucyou01ver.png

細川政元の3人の養子について、整理しようと思い表にしてみました。

そこで新たに気付いたことです。

京兆家は上屋形と、下屋形に分かれていたこと、
上屋形は野州家と典厩家がツルのようにめぐって周りを固めている事。

この中で、高国がやはり自分が京兆家を継ぐべきと思うことは、
上屋形、下屋形の関係でみてみると、筋が通って見える事。

はっきり跡継ぎを認定せず細川政元が横死したことが、
やはり、戦国時代へ突入していく争乱を加速させてしまったのではないでしょうか。

膨大に膨らんだ家臣団の中で、誰が主導権を握るかで、
上屋形の家臣達、下屋形の家臣達、そこからはみ出してしまった家臣達、
それぞれが3人の養子たちを擁立し、
それぞれの思惑が、細川家を分裂させてしまったんでしょうね・・。

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大国主

tamasuii3.png


HPをはじめた頃の原点回帰で、イラストを描いてみました。

手書きスキャンして、ペイントで塗り。とりあえずここまで。



「大国主」のつもりです。

時代設定は、縄文時代。

「大国主」とは、17代の歴代国主の尊称だったのでしょう。

それが一代の人物の事績としてまとめられ、

いろいろややこしい設定となっているように感じます。



自分のやりたいこと、望んだことの原点回帰は、

神武東征以前の日本列島史を知りたい。

その手段は・・・。



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『上記』とサンカ、奥三河の「山家三方衆」

『上記』というのは、鎌倉幕府成立後に豊後国守に赴任した大友能直が、

豊後に伝わる古文書を集めて編纂したということではあるが、

関東にいた時代に、「サンカ」衆という「山の民」を虐殺して、

その古文書を奪ったものであるともいう。

「山の民」や、サンカと聞いて頭に浮かぶのは、

戦国時代に奥三河に割拠した、山家三方衆。

「ヤマガ」と読むようであるが、「サンカ」にも通じるものか。

「山の民の味方衆」とも解釈されそうである。

「山の民」のそういう伝承がいつまで伝わっていたことだろう。

ところで、

山家衆の奥平氏や菅沼氏の出自は、土岐氏や富永・設楽・瀧川氏から婚姻による血を得て、

名家と結びついていると推測される。

南北朝時代の影響で、三河や信濃の山奥には、南朝方の勢力が根強く残っていたのだろう。

南朝を支えていたのは、古来からの「山の反抗勢力」だったのだろうか。

権力から追われた反社会の人達が、再び「帝」を担いで、山を拠点に活動する繰り返し、

不屈の精神です。

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平ノ重盛卿

sigemori01.jpg
内大臣・平ノ重盛卿の肖像のつもりで描きました。

最近のイラストは、スキャンしてから色塗りしていましたが、

今回はペンだけで。

今、気になるのは平家と、奥州藤原氏との関係。

貿易の為に、多くの金が日本国内で流通していたようですが、

743年聖武天皇の「東大寺の大仏」造りから始まって、

1159年以降からの清盛の政権に至るまでに、どれだけの金が、東北地方から

産出したことだろうなと・・・。

天皇の一門による、関東への「皇子の国司派遣」から、

坂東平氏、河内源氏、摂津源氏、奥州藤原氏の抗争は、

まさしく「黄金」を求めての進出によるものだったのかなと。

東北こそ、マルコポーロの言う、「黄金の国ジパング」、エルドラド(黄金郷)伝説の、

原点なのかなあと思う次第です。

「黄金の国」と日本の存在、価値を世界に広めたのは、

実質的に平氏政権を運営していた重盛なのかなあ・・と、想像する次第です。

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